そもそもゴスって何?

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ちょっと面倒な問題に触れたい。そもそも1980年に前後して誕生したゴシック・ロックを聴いているのは、パンク層の一部なのか、新しい層かという問題である。日本でも似たような話でMadame Edwardaがバッシングされたが、基本的にパンク層からは現実の社会変革に一切興味を持たず空想に耽るこの手の音楽のファンは、メディアの対立煽りもあって反感を持たれた。

例えば、これらがポジティヴパンクと呼ばれる、パンクとは異なる歩み寄りのできる連中だとしたかの有名な『NME』1983年2月19日号、および『THE FACE』1983年2月号は、POSITIVE PUNKで該当記事が全文読めるので、簡単にアクセスできる。

ということで、ピックアップしてみよう。

SO HERE it is: the new positive punk, with no empty promises of revolution, either in the rock’n’roll
sense or the wider political sphere. Here is only a chance of self awareness, of personal revolution,
of colourful perception and galvanisation of the imagination that startles the slumbering mind and
body from their sloth.
Certainly this is revolution in the non-political sense, but at the same time it’s neither escapist nor
defeatist. It is, in fact, “political” in the genuine sense of the word.
Individuality? Creativity? Rebellion? The synthesis.comes at the moment when you do the one thing,
the only thing, when you know you’re not just a trivial counter on the social chequerboard. Here are
thousands doing that one thing: merging an explosive and cutting style with a sense of positive
belief and achievement, and having fun while they’re doing it.
The Oi-sters and their ilk may have taken punk a few millimetres to the right or a centimeter to the
left, but not one damn step forward.
This is punk—at last built on rock and not on sand.

『NME』1983年2月19日号

この『NME』の記事では、ポジティヴパンク、もといゴシック・ロックのバンドたちは、政治的方向で中身の伴わない革命の宣誓などせず、ただ個人の想像力の発露を行っているという点で革命的としている。

Consigned to a foul demise by the forces of cash and
chaos, punk broods alone in its dark tomb. Its
evolution away from the light has been a cruel and
twisted one, from guerilla assault on the media to
ghost dancing on the bones of Red Indian mysticism,
from glue to Gothick. Naturally, unattended for so
long, its hair has grown. So have its aspirations. It
has risen to the call of groups like Southern Death
Cult and Sex Gang Children and craves a positive
com­munion through music. Come with us through
the veil of gloom to meet the new romantics.

『THE FACE』1983年2月号

この『THE FACE』の記事では、要約すると、メディアからのバッシングで死に瀕したパンクが、まさに墓場で考え込み、音楽を通してポジティヴな対話を求めているとしているのである。

というわけでこうした結果、ジョン・サベージが後世『England’s Dreaming』においてsocial realistsとこれらのart crowdの二分類で線を引き差異を設けたように、上記の通りあんな政治に興味持たない連中という扱いも生まれてくる。例えば、The Apostlesのアンディ・マーティンは以下のように回顧している。

yet these colourful characters actually dared to have parties and enjoy themselves in spite of – or perhaps to spite – Britain under Thatcher. I was unable to forgive such blatant decadence!

Blood And Roses – Kamera Records – 1983 – KILL YOUR PET PUPPY』へのアンディ・マーティンの寄稿部分

早い話、あんなサッチャー政権下でひたすら享楽に耽っていたバンドの連中のような退廃を、クソくらえと思っていたということである。

よって、ゴスが確立したあたりから現代までパンクとゴスは別のセクトにあたるというのがなんか自明視され、その割にパンク精神云々の押し付けだのゴスパンがどうとかだのもあり、割とこの問題に手を突っ込むと戦争になる。

とてつもなく印象論を述べてしまうと、パンク側にとってゴスとは、一緒に社会変革を突き進める精神性を持った仲間、というより子分や手下の類なのか、ニューウェーブと一緒によろしくやっていた敵なのか、いまいち時と場合によって都合よく使い分けられている気がしてしまう。日本で出た書籍でも一部追ってみよう。

(前略)どぎついメイク、時代がかかった歌詞、ゴシック建築を連想させる重厚な装いをこらしたサウンド、シアトリカルなステージといった要素に少しでも触れるようなグループはそう呼ばれ、パンク以降の混沌としたシーンをにぎわすことになった。

(中略)ただ、最初の動きとその反応面では、多分に音楽ジャーナリズムを中心とした仕掛けっぽい部分もあって、ちょっとしたクラブのイベント的な盛り上がりだったものが音楽紙誌で大々的に特集され、インディからのオムニバスがそれに拍車をかけ、一部の本当に実力を持ったバンド以外を過大評価させる結果も招く。例によって大手レコード会社による引き抜き、強引なデビューなどパイプ的な動きと目まぐるしく続き、一瞬にして潮が引くようにブームは去った。

「ポストパンク的な文脈で生まれ対照的な歩みを見せたゴスとネオサイケ」大鷹俊一(2004)
レコード・コレクターズ3月号増刊『英国ロックの深い森 1976-1990』pp.118

(前略)黒装束、耽美な歌詞、暗黒舞踏、メイクなどイメージしやすいキーワードや仕掛けが多々あったり、その一方では音楽的な定義がなかったりと、多分に音楽業界主導のキャッチーなムーヴメントだったことが窺えるが(後略)

(中略)インパクト重視だったために飽きられるのも早かったゴスに比べ(後略)

石橋和博(2006)「ゴス/ポジティヴパンクの怪しい魅力」
『PUNK ROCK STANDARDS』pp.86

そんなポストパンクとニューウェイヴとの違いの最たる点を述べるならば、前者が「硬」で、後者が「軟」と言おうか。ポストパンクのほうは、パンクの精神性を何らかの形(反発でも構わない)で「引き継いでいる」ものだと考えていい。「仏作って魂入れず」では、ダメなのだ。しかしニューウェイヴとは、言うなれば「その逆」だった。見た目さえ「仏みたい」だったら、特に魂は問わない(どうせ見えないんだし)――といったような、ある種の大雑把さ、機能性のみに着目した外見至上主義みたいな特質が、あった。

(中略)そしてポストパンクには、「これ」とひとことで言えるような、何か明確な音楽スタイルがあるわけではなかった。そこが初期パンク・ロックとは大いに違う点だ。つまりそのスタイルは「きわめて多様」だった。「パンクの精神性を引き継ぎながら」ありとあらゆる音楽との接続を繰り返していった結果こそが、ポストパンクの出発点だったからだ。一方で歌詞そのほかには、パンク的な政治性の高さが直接的に目立つものも多かった。また同時に、パーソナルな観点を重要視したもの、個人的な立場から「人間の内面」へと思考を伸ばしていく作品も目立った。さらにそこから「もう考えるのは止めた!」として踊り(ダンス音楽)方面へと歩を進めていく者も、少なくはなかった。

(中略)だから言うなれば、ポストパンクの隆盛とは、とむらい合戦だったのかもしれない。あまりにもあからさまな「負け戦」にてすぐに幕を閉じた、ロンドンのオリジナル・パンク・ロッカーたちへの、とむらいだ。

(中略)21世紀の今日にまで連綿と続く「黒い伏流水」ゴス(Goth)・サブカルチャーの出発点となったのも、ポストパンクの時代だった。

川崎大助(2023)『教養としてのパンク・ロック』pp265, 295-296, 312

要するに、パンクサイドからすると、ゴスとはパンクと善かれ悪しかれ何らかの関係性にある存在とも解釈できる。つまり、ゴスとはとてつもなく悪く言ってしまうと、パンクロック史という「大きな物語」の中に包摂できる、パンクムーブメントの一部に属するサブカルチャーと捉えられていると言えなくもない。

もちろん、ゴシック・ロックの音楽性が、直近でパンクロックのDIY的な音楽が勃興し、ポストパンクとニューウェーブの時代に取り入れられた音楽素材があって初めて成立するものであることは周知の通りである。また、例えば、デスロックサイドからすると、俺たちはパンクロックやハードコアパンクが意気盛んな地域で誕生したサラダボウルから生まれた存在で、その中の一部はパンクと同じような社会批判の志を持っていたのに、たまたま一緒のカテゴリーに後々入っただけで一緒くたにしないでほしいとかある。

ただ、すごい身も蓋もないいい方すると、ゴスからすると、パンク文化圏の人たちとかそもそもカテゴリー違くない?みたいな一言で終わる。なんかマクロスのオタクに富野由悠季の精神性云々言ってるくらいのずれを感じる。

これは、言葉が先に定義づけたことで差異化をされて明らかに区別される両カテゴリーが生まれたとか、社会運動による分断とかいろいろあるとは思うのだが、既に40年以上経過していて、現実としてそうなっているので、そこは直視しようということにしたい(なのでエモの人たちを巻き込むのもやめようとも言っておく)。

しかし、次にそもそも、じゃあパンクとかエモとかギークとかナードとかとは区別される集団であるところの、ゴスって何ということになる。

ただし、そもそもゴスとは、特に核になるようなスローガンとかこれをやったらゴスとか、そのようなのはない何かよくわからない集団としか言えない。割と日本でもゴスが書いたゴスについての本は、精神性とかの問題が起源にないのにゴスの定義考えても無理筋じゃない?と思考放棄している。

とりあえずよく参照される2010年代前半までのゴス内のセクト史がこれである。

Trellia『The Goth [stereo] Types Family Tree』

以下、ゴス(とゴシック&ロリィタ)とは、割と雑多な集団であることを示す動画やリンクなどを列挙する。

40 Years of Goth Style GLOBAL REMAKE!
40 Years of Men's Goth Style (in under 5 minutes)
40 Years of Goth Style (in under 4 minutes)

ただ、この辺国の違いが大きく作用しているのかもしれない(実際中南米のゴスは明らかに政治経済の影響もある)。というか、無関係な第3世界の黄色人種だからこんな投げやりなこと書けているのであって、どう考えてもこのファッションは人種・ジェンダー・階級・宗教などを示し識別する「記号」が明らかに多数見て取れるのは、きれいごとを言う前にちゃんと考慮しておいた方がいいとは思うというエクスキューズは書いておく。しかし、人種とか宗教とか階級制社会とかに切り込むと火傷するのでざっくりとまとめる。

とりあえず日本人目線では、パンクともエモともギークともナードとも違うのだが、特にスローガンはないがなんかかっこいいと思っている理想の方向性が同じ集団でしかないのかもしれない。また、ゴシック&ロリィタサイドからすると自分たちはゴシック&ロリィタなのでゴスではない、などもありそうで、何をアイデンティティにして差異を見出すかは人それぞれかもしれないので、あまり深くは触れない。

そして最後に一応述べておこう。このサイトで取り扱うゴシック・ロックとは、原義通りの「ゴシック・ロック」である。このカギかっこの理由は、明らかに無関係な音楽をプロモーションやら社会的バッシングやらで「ゴシック・ロック」と銘打たれた最初の歴史修正と、2010年代の1980年代的音楽のリバイバルが進行した結果本来の2000年代に誰も聴いてなかった音楽であるところの第3波のゴシック・ロックなんかを通史に組み込むという第2の歴史修正で、分断が起きた。早い話ゴシック・ロックを聴くTrad Gothと、インダストリアルやEBM、そこまではいかなくても「Dancing Ferret」系のエレクトロの音楽を聴いていた層が割とどっちが主流派かで主導権争いをしている気配があるためである。

ただ、正直全部聴く身としては、定義だけは原義通りにしておきたい。ということで、レースやフリルのついた黒服着た女キャラクターの歌を適当にゴシック・ロックというのも絶対にやめようねというので締めたい。

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