ロシア圏のゴシック・ロック概説

旧ソヴィエト連邦、現在のCIS地域では、歴史的経緯により、西側地域の1980年代的なバンド音楽が主にロックとして受容された。その結果、これらの地域では現在西側でRussian Doomer Musicと呼ばれて受容されている、平板で暗くて単調なロック音楽のイメージが強い。

しかしこの西側での受容は、1980年代のソヴィエト連邦のロックのカリスマ、ヴィクトル・ツォイ率いるКиноから、2010年代的な文脈にあるベラルーシのМолчат Дома、Plohoあたりがごちゃ混ぜになってプレイリストにされているほど、この地域の一般的な通史からしてほぼ知られていないといっていい。また、2020年代に至って噴出した通り、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ3国のナショナリズム問題が、現在進行形でからんでいく。

よって、この3国にいったん分断し、なおかつある程度通史的にソヴィエト連邦地域のバンド音楽がなぜこのような状況になっているかを見ていきたい。

なお、Mark YoffeとDave Laingが2005年に書いた通史ではロシアのロック音楽は大体以下の様相をたどっていくとのこと。

  1. 1961年~1968年:欧米のカバー
  2. 1968年~1980年ごろ:探索と闘争の時期
  3. 1980年ごろ~1991年:最終的な勝利に向けての戦いの時期
  4. 1991年以降:アイデンティティクライシスの時期

旧ソ連のロック前史

ソヴィエト連邦の成立と大衆音楽

ソヴィエト連邦誕生直前、帝政ロシアではおおよそ西側と同じような大衆音楽が流行っていた。フランスのコミックオペラ的なヴォードヴィル(Vaudeville)が流行り、多くの出版社はシュラーガーと呼ばれる大衆音楽を出し、バーやレストランではいわゆるジプシーバンドが演奏を行っていた。

この時期、代表的な歌手としては、ヴァリヤ・パニーナ、アナスタシア・ヴィャルツェワ、ゴロツコイ・ロマンツ、ブラトナヤ・ペスニャらが知られる。

1899年にはすでにペテルブルクにレコード工場があり、軍楽隊がラグタイムやケークウォークを演奏していく、映画館では映画の合間にバンド演奏があるなど、だいたい西側の音楽性が波及する形で、大衆音楽も形成されていったのである。

ところが、知っての通り1918年にソヴィエト連邦が成立する。ソヴィエト連邦は直ちに国家で大衆音楽も管理するようになり、国家が認めた音楽以外は禁じる動きが広まっていく。

しかし以後もネップである程度制限が解除されたと思ったら、スターリン体制の5ヵ年計画で再度禁止。1930年代半ばに西側の音楽を大度認める動きがあった矢先に、大粛清で抑制。第二次世界大戦でアメリカと同盟を組んだため制限をある程度解除したと思ったら、冷戦で再禁止。と時の政治と大いに絡んでいったのである。

こうした政策を受けて、民間の大衆音楽も、例えば踊りはイーゴリ・モイセーエフ的なものになるなど、ソヴィエト連邦の成立以後の人工的なものにある程度均質化される。

ソ連とジャズ

ただし、イサーク・ドゥナエフスキーの作る軽音楽にジャズの影響があるなど、そこまで徹底できなかったのも事実である。特に東側地域でも時の政策の影響で、ジャズが広まっていった。ネップ真っ盛りの1922年にはヴァレンティン・パルナフのバンドがソヴィエト連邦で初のジャズコンサートを開く。また1926年には西側からチョコレート・キディーがツアーにやってきて、これらの動きを受けて各地でジャズバンドが結成されていくのである。

その中にはレオポルド・テプリスキーのようにジャズの情報収集のために合法的に渡米したものや、ヤコフ・スコロモフスキーのように映画に登場していくうちに、いくつかのバンドが国営レコード会社で録音し、合法化される。

Jewish Melody (Еврейская Мелодия)

レオニード・ウチョーソフ、アレクサンダー・ツファスマンといった1930年代の花形スターすら出てきていくうちに、第二次世界大戦でアメリカから楽譜が大量に流入したり、ドイツから逃れてきたエディー・ロスネルが活躍したりと、ジャズはどんどん盛んになったのである。

Шаланды полные кефали

ところが、冷戦の結果、1949年にジャズが禁止された。

しかし、ここで大きな事件が起きる。1953年にスターリンが死んだのである。

ソ連でのロック誕生

雪どけ期の大衆音楽

スターリンの死後、雪どけによってまずジャズが復権する。イーゴリ・ベルクシュティスが「ザ・エイト」を結成したのを皮切りにジャズバンドの結成が相次ぎ、ジャズクラブも各地にできる。約10年が経過した1962年に至ると、第1回モスクワ・ジャズ・フェスティバルすら開催できたのである。

この背景には、アメリカがソヴィエト連邦に向けてウィリス・コノヴァーなどがDJを務めるラジオを飛ばすというプロパガンダ政策などもある。とはいえ、ジャズはほとんど合法化され、1980年代には各都市に必ずバンドがいるというような状況になった。

しかし、もっとソ連的に合法化されていたのはやはり合唱で、赤軍合唱団のイメージが強いのは事実である。とはいえ、合唱団とジャズの中間くらいに「エストラーダ」と呼ばれるバラード歌手がいる。レフ・レシチェンコ、ソフィーヤ・ロタール、エディータ・ピエーハ、ヴァレリー・レオンティエフ、イリーナ・ポナロフスカヤ、アーラ・プガチョワといったバラード歌手がポップスとしてヒットしていったのである。

Соловьиная роща
Веточка рябины
ЭДИТА ПЬЕХА Ой, не судите опрометчиво
Полёт на дельтаплане
Так проходит жизнь моя
Миллион алых роз

ロックの誕生

では、本題に入る。ソヴィエト連邦でどうやってロックが成立したかである。ここの一番のカギは、ソヴィエト連邦がロシア帝国を含む、雑多な国の連合だったという点である。

要するに、バルト三国やコーカサス地域と言った、ソヴィエト連邦の端の方の、西側の勢力圏と接している地域で、まずロック音楽が聴かれるようになった。というのも、モスクワやレニングラードじゃあるまいし、そこまで大きく規制できていなかったからである。

こうした中で、ソヴィエト連邦最初のバンドは、ラトビアのリガで1961年に結成された「The Revengers」と言われている。彼らはチェコスロバキア製のギターと自家製のベースで演奏したと言われているが、あくまでもエルビス・プレスリーと言った西側のロックスターの英語のままのカバーが中心であった。

そして、当時は同じ国ではあったので、こうした動きは次第にモスクワやレニングラードにも知られるようになる。1957年のかの有名な第6回世界青年学生祭典で、思想的には近しいとはいえファッションなどが明らかに異なる西側や衛星国家の若者を多く目撃したのも、ジャズくらいしかカウンターカルチャーの無かったソ連の若者に刺激になった線もあると思われる。

ロシア人として初めてロックを演奏したと言われているのがアレクサンドル・グラツキーである。彼が1963年に13歳でポーランドのバンド「Тараканы(The Roaches)」のボーカルで歌ったのを皮切りに、「Братья (Brothers)」、「Сокол(Falcon)」、「Славяне(The Slavs)」と言ったバンドがモスクワで、「The Wanderers」、「Лесные Братья(Forest Brothers)」、「Аргонавты(The Argonauts)がレニングラードで、1960年代に誕生していく。

ただし、これらはあまり積極的には規制されなかったらしい。外国語の解読不能な歌を歌っていたというのもあるようだ。

このうち、上記のアレクサンドル・グラツキーは、1960年代の終わりには、「Славяне」、「Los Pancho」、「Скифы(The Scythians)」の3バンドと掛け持ちしていた。しかし、割とどこの国でも陥った問題なのだが、ロックは自国語でやる必要があるとしたグラツキーに対し、Славянеのほかのメンバーはロシア語はロックに向いてないとついていけなかったらしい。

この結果、グラツキーはロシア語でロックをやる史上初めてのバンド、「Скоморохи(Jesters)」を結成する。これが、実質的なロシアの国産ロックの成立ともいえる。

V poljakh pod snegom i dozhdjom

ペレストロイカの時代

Группа крови

ソ連崩壊後

最近

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RAVEN SAID - A Flowering and a Flattering (Official Video)

The End of Electronics - Radiowave | Конец Электроники - Радиоволна

Облако - Корни (Official video)

参考文献

書籍

  • 岡島豊樹(2021)『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』
  • 神岡理恵子(2020~2021)「R ポップ・ロックの世界へようこそ!」『NHKラジオ まいにちロシア語』2020年度期の連載(全12回)
  • 蒲生昌明(2019)『ソ連歌謡 共産主義体制下の大衆音楽』
  • 四方宏明(2021)『共産テクノ ソ連編 増補改訂版』
  • 鈴木正美(2006)『ロシア・ジャズ 寒い国の熱い音楽』
  • トロイツキー, アルテミー(1991)『ゴルバチョフはロックが好き?』(菅野彰子訳)
  • ハル吉(2019)『ロシアロック ヂスクガイド』
  • 山中明(2022)『ソ連ファンク: 共産グルーヴ・ディスクガイド』

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