メトネルという姓について

メトネル(Medtner)という姓であるが、あまりにも由来がぱっとわからずに、正直誰もが必ず一度は「どういう意味なんだ……?」と思うだろう。そこで、実はすでに100年にわたる先行研究をまとめた先行研究がすでにあるので、軽くまとめておく。

概要

メトネルという姓だが、エミリィ・メトネルが「たぶんシュレスヴィヒ・ホルシュタインあたりでできた農民由来のもの」と手紙で書いている以上の情報はメトネル家は明かしていない。実際のところ、マイナーながらも北欧、ドイツ、ポーランドあたりなど、一定程度の広がりを持っているものである。

しかし、誰しもが、「そもそもこの姓何……?」と思うだろう。というか、日本人にとってはかなりピンと来ない姓である。

実は2004年ごろに、Christian Methnerという人物が、それ以前の先行研究をまとめた自作レポート”Zur Herkunft der Familiennamen Methner”をドイツ語で発表している。これは、彼が気前よく開示したためネットで広く読める。正直「明確に言いたいことがあって」まとめた独自研究なのだが、このメトネルという姓の先行研究が整理されているので、利便性のためこのレポートの紹介記事を作っておきたい。

メトネルという姓って結局何なの?

結論から言うと、正直あっちの人も100年近く悩んだ。なので、逆説的に言えばこのChristian Methnerがわざわざレポートを作ったのもそのためと思われる。

ただし、メトネルという姓が何なのかは、研究史の趨勢がわかりやすく示せるので、先にChristian Methnerが示す6説の概要だけ述べる。

  1. ゲルマン系に伝わる飲み物「Met(蜂蜜酒)」由来説(20世紀前半にはあった古典説)
  2. ニーダー・バイエルンの都市「Metten」由来説(20世紀前半の「Methner’sche Familienverband」の主張)
  3. 「Mette/Frühmette」という名前が姓に変わった説(一般論としての仮説)
  4. ソルブ語のマーティンやマティアスにあたる名前「Mjeto」が姓に変わった説(20世紀後半の古典説)
  5. スラヴ祖語の接頭辞「–met/i」+ドイツ語の接尾辞「–ner」説(21世紀初頭当時時点のドイツの学界での統一的見解)
  6. 神聖ローマ帝国の東方植民でシュレジェン地域がドイツ化されたことで、スラヴ系の名前がドイツ語っぽくなった説(Christian Methnerの見解に一番近いもの)

これらを取りまとめ集約したのが、Christian Methnerが出した結論ということらしい。

なお、Christian Methnerも断っており、この記事の筆者も痛いほど理解しているが、このメトネルという姓はMethner、Metner、 Medtner、Medtner、Mettner、Mettener、Miethner、Maethner、Mähtnerと死ぬほど表記ゆれがある。これは、18世紀まで正書法も確立していなかった地域で名乗っていた人々が発音した通りに書記が書いたからということらしい。

ゲルマン系に伝わる飲み物「Met(蜂蜜酒)」由来説

Kaspar Linnartzが1936年に書いた”Unsere Familiennamen”、Max Gottschaldが1954年に書いた”Deutsche Namenkunde”などで主張される、20世紀前半にはすでに存在する古典的な説である。彼らは中世からドイツ地方でおなじみの飲み物「Met」を蒸留する職業「Metsieder」がメトネルという姓の由来と主張している。

ただし、このレポートの著者Christian Methnerも主張するように、その理由であればゲルマン系地域にまんべんなくみられるはず。なのに、このメトネルという姓はドイツ東部から東欧が主な地域と齟齬をきたす。早い話、古典的な説のわりに、実態とあわないのである。そういうわけでChristian Methnerは、Kaspar Linnartzが”Unsere Familiennamen”の第3版でメトネルの項目を削ったのだろうと推測している。

筆者補足

ただし、古典的な説であることは、別のことを意味するとこの記事の筆者は考える。そう、エミリィ・メトネルの認識である。要するに、エミリィ・メトネルはこのあたりのゲルマン系の一次産業従事者由来の姓という話を、どこかで聞いていたのではないかとも思われるのである。よって、憶測ながら、実際はともかくとしてメトネル家の当時の認識には影響していたのでは?とも考えておきたい。

ニーダー・バイエルンの都市「Metten」由来説

これは、1654年以来の歴史を誇るとアイデンティティを持つドイツのMethner家の人間が作った「Methner’sche Familienverband(メトネル家協会)」が、1931年の”Deutschen Geschlechterbuches”73号で主張したものである。彼らは自家の名前の由来を古典説(1説)の蜂蜜酒ではなく、ミサを意味する「Mette」か、バイエルンの「Metten」という町の名前から来ており、16世紀の初期の事例がバイエルンやヴュルテンベルクと言った南ドイツでしか検出されないのでたぶん後者としている。

ただし、このレポートの著者Christian Methnerも主張するように、メトネルという姓の検出事例はダンツィヒやシュレジェン、ポズナニといった大陸ヨーロッパのより北の地域で、14世紀というより早い時期に見つかる。要するに、メトネルという姓はむしろポーランド地域の方が先行しており、ピアスト朝とバイエルンにあまりにも何も関係がないことから、Christian Methnerは退けたいのである。

「Mette/Frühmette」という名前が姓に変わった説

ここで前置きだが、Christian Methnerが確認したメトネルという姓の最も最初の例は、1363年のグダニスク(ダンツィヒ)である。早い話、ポーランドの王朝、北欧の王朝、ポンメルン家といった神聖ローマ帝国の外様とも言うべき諸侯、ドイツ騎士団と言った諸勢力が相争った地域である。要するに、スラヴ系とゲルマン系がごちゃごちゃしている地域と言い換えられる。

ここで、Christian Methnerはドイツ人の姓「Mette」に、自分がドイツ人であることをさらに明確にするためによく行われた、接尾辞「-ner」を足したものなのでは?という仮説を立て、退けている。

簡単に見ると、まずMetteという姓があった。Duden社が2000年に出した”Duden – Familiennamen: Herkunft und Bedeutung von 20.000 Nachnamen”によると、女性名「Mechthild」の短縮形か、粉ひきの用語である「Matte、mette、–Metze-」のどちらかに由来する姓である。

早い話、スラヴ系が多い地域に向かったドイツのゲルマン系が、もともとドイツ系の「Mette」という姓だったのを、自分がドイツから来たことを示すため「ner」を最後にわざわざ足したという行為が行われた結果の一例なのではとするのである。

のだが、Christian Methnerはあっけなく退けている。というのもMetteという姓はメジャーなのに、ドイツどころか東プロイセンやシュレジェン地域でもメトネルという姓はあまりにもマイナーすぎる。この偏差がゆえに、Christian Methnerはあっけなく候補から消すのである。

ソルブ語のマーティンやマティアスにあたる名前「Mjeto」が姓に変わった説

1967年のHans Bahlowが書いた”Deutsches Namenlexikon”に記される説である。Hans Bahlowはこの本で、メトネルという姓をソルブ語の名前「Mjeto(だいたいマーティンやマティアスの意味)」の父称ではないかとしているのである。早い話~ヴィッチとか~ソンとかのアレの一種である。

しかし、くどくなるようだが、Christian Methnerはこれも退けたいらしい。理由は以下の2つである。

  1. マーティンやマティアスの亜種とするわりに、スラヴ系のmje-とゲルマン系のmer-、mar-の対応関係についての説明が全くない(極論飛躍している可能性もなくはない)
  2. この説明では、同じく東方植民の対象だったチェコスロバキアのボヘミアやモラヴィア、ズデーテンあたりで全く見かけない事実の説明がつかない

ただし、Christian Methnerは、Hans Bahlowの主張するこの「姓がドイツ人とスラヴ人の接触地域で生まれた」という仮説は妥当であり、補強できるとはするのである。

スラヴ祖語の接頭辞「–met/i」+ドイツ語の接尾辞「–ner」説

Christian Methnerの主張ではこれが妥当であるとするために、説3(Mette由来説)で使った”Duden – Familiennamen: Herkunft und Bedeutung von 20.000 Nachnamen”にそもそもMethnerという項目があることが後出しじゃんけん的にここで明かされる。というレトリックなので、このレポートに注意は必要であるのは改めて触れてはおく。

要するに、2000年の時点でメトネルという姓はスラヴ系の名前「メティスラフ(Metislav)」の短縮形「Metag」+「-ner」という父称だと、すでに結論が出ているのである。なお、先述の通り、このレポートが書かれたのが2004年なので、(あくまでも当時としては)最新の説だったのである。

ちなみに、おなじくこの著書では「メティスラフ」という姓の由来も「Metati(旋回する、投げつける)」+「slava(名声、名誉)」としている。

ここで、Christian Methnerはこの”Duden – Familiennamen: Herkunft und Bedeutung von 20.000 Nachnamen”という著書が、単独の研究者による一説ではなく、学会の統一的な見解を示した大事典であることを強調する。さらに、このことは説4の一部(由来はスラヴ+ドイツ)で補強できるとするのである。

神聖ローマ帝国の東方植民でシュレジェン地域がドイツ化されたことで、スラヴ系の名前がドイツ語っぽくなった説

すでに一般的な結論は出たのだが、Christian MethnerはHorst Naumannが書いた”Familiennamenbuch, herausgegeben”というスラヴ系の名前のドイツ化に関する論文で補強したいらしい。というのも、Christian Methnerにとって一番の関心事は、なんでメトネルという姓が北部の東方植民地域でばかり見かけるのか?という問題だからである。

この本でHorst Naumannは、スラヴ系の名前のドイツ化を次のように主張する。姓が誕生する時代よりもはるか前にドイツ化が進んだことで、「スラヴ系の名前そのものがあっけなく消失したわりに、名付けにはスラヴ系のルールそのままが継承された」ということである。つまり、キリスト教の洗礼名などの西欧系の名前に、以下の2つが行われたというのである。

  1. 洗礼名など西欧の名前がスラヴ風になる
    具体例:Benedictus→Benis、Johannes→Hanek、Hanik、Hank、Hanusなど
  2. スラヴ系の接尾辞-ak、-ik、-ek、-us、-as、-osが西欧の名前の最後につく

Horst Naumannはこれが特に顕著だったのが、ドイツ系の名前に接尾辞がつく事例がみられるポーランド地域だったとする。

ただし、話を説5に戻すのだが、このメトネルという姓は前述の通りスラヴ系の「メティスラフ」+ドイツ系の接尾辞「ner」である。要するに、これはここでずっと述べてきたNaumann説のドイツ系っぽい名前+スラヴ系っぽい接尾辞の真逆なのである。

Christian Methner自身の仮説:この姓がついた経緯

ここまでいろいろ言ってきたが、Christian Methner自身は、最後にあることを考えたいのである。結局のところ言語学的な経緯はわかったのだが、そもそもこのメトネルという姓を持つ集団とは、どういう経緯でメトネルとなったのかということである。

そして、Christian Methnerは説4、5のメトネルという姓がドイツ人とスラヴ系の接触地域で初めて誕生したという説を継承したいらしい。特に「メティスラフ」の「ラフ」がドイツ系の「ner」に置き換わったとする説5も、この姓が14世紀に初めて見られる点から継承したいようだ。

つまり、Christian Methnerはさらにスラヴ祖語時代のスラヴ系の名付けのルールにのっとり、そもそも「メティスラフ」という姓ですらない名前が、姓になる集団とは何かをはっきりさせたいのだ。

結論を言うと、彼はメトネルという姓を持つ集団は「南ドイツ系の職業軍人でスラヴ系の土地に進出したもの」と考えている。早い話、12世紀にピアスト朝の内紛でドイツ系が進出してきたシュレジェンという地域性が前提となる。ここに、富と名声を求めてドイツ系の騎士身分がやってきて、軍事奉仕した子孫ではないかとするのである。

この主張をChristian Methnerは、15世紀にライプツィヒの上流階級にメトネル姓がいた点や、「Methner’sche Familienverband(メトネル家協会)」が示す富裕なメトネル家の多数記録、逆説的に説2の南ドイツにメトネル姓学生が多くみられたことで補う。つまり、こうした進出の結果、富と名声を確かに蓄えたのではとするのである。

また、一般論として上流階級は身近で子弟を養育する。ので、プラハのカレル大学などにわざわざ行かせずフランケン地方近辺でメトネル姓の家が学生身分をやっていたということもあり、大体フランケン地方のドイツ系がスラヴ系の土地を使って裕福になったと考えているらしい。このことは「-(n)er」という姓の語尾がオーバーラインなどの南ドイツ高地に多く見られるということでも補足できる。

Christian Methnerの結論をはっきり言おう。彼は、「南ドイツの騎士身分がシュレジェンなど職業軍人の需要の高い地域でスラヴ系貴族に奉仕し、その奉仕の結果として騎士身分につきそうな「メティスラフ」を姓としつつも、元来ドイツ系なので-nerがついた」という仮説を言いたいようだ。

結局メトネルさんとは何なのか

寿限無みたいな書き方をするが、「フランケン地方といった南ドイツ出身の騎士身分が、シュレジェンやプロイセンへと北上し、スラヴ系貴族に軍事奉仕しているうちにそんな上司との交流もあってスラヴ系の軍人っぽい名前が姓になるが、もともとドイツ出身なので当然姓でもそれを主張した結果メトネル姓が成立し、やがて16世紀くらいには本来の故地であるライン川上流域くらいの土地に戻ってくるなどしつつ、ハンブルクやベルリン、ロシアなど周辺に広まっていって最終的にアメリカなどにも到達した」のがメトネルという姓についてChristian Methnerが出した結論である。

ただし、あくまでもこれは2004年くらいの独自研究なので、適宜追跡調査は行いたい。

筆者補足:本当に上記認識で合っているのか?

ただ、この「メティスラフ」+「ner」自体は、あくまでもドイツ側の見解である。では、メトネルという姓が誕生したとされる、ポーランド側の一般的な見解はどうなのだろうか?

正直に言ってしまうと、彼らにとってメトネルという姓は別の経路を見積もっていそうである。つまり、ヤギェウォ朝~ポーランド分割くらいのドイツ人の入植者の名前が変化したというものである。この見解の代表者として近世ポーランドを対象にした言語学者のLeonarda Dacewiczを挙げておきたい(参考文献としてはLeonarda Dacewicz(2001)”Antroponimia Białegostoku w XVII-XVIII wieku”や同じくLeonarda Dacewicz(2014)”Historia nazwisk na kresach północno-wschodnich Rzeczpospolitej (XVI-XVIII w.)”など)。

このサンプルとして彼女が提示するのが、ビャウィストクの住民の人名である。彼女は、18世紀前半の、例えば教区登録簿やヤン・クレメンス・ブラニツキ(Jan Klemens Branicki)の『目録』に記されるドイツ人入植者の姓と、プロイセン進出後の18世紀末~19世紀初頭の国勢調査を比較する。すると、後者がドイツ人の姓そのままなのに対し、前者はある程度ポーランド語に適応して変化しているとみなせる。

つまり、ポーランド人からは異質な外の姓とみなされつつも、プロイセン系の役人のものに比べるとある程度なじみがあるドイツ系の姓のグループがあるというのである。なおかつ、その典型例として名前が挙がっているのが、子音の単純化の一例であるMetzner→Metnerなのである。

要するに、Leonarda Dacewiczの2010年代くらい見解は、Christian Methnerがあっけなく退けた説3と言ってもよい。ちなみに2022年に2版が出版されたアメリカの”Dictionary of American Family Names”によると、Metznerは穀物関連のmetzeか肉屋関連のmetzjen由来の姓とのことである。ということなので、Metzner→Metnerはほぼ説3である。

だが、この記事の筆者の個人的な見解なのだが、よくよく考えるとChristian MethnerとLeonarda Dacewicz双方の意見が食い違って当たり前という、ある考慮すべき点がある。というのも、2人ともポーランド地域とは言うのだが、Christian Methnerが中世期のサンプルとして挙げているのが現在のドルヌィ・シロンスク県、ポモージェ県、ヴィエルコポルスカ県などの西部ポーランドなのに対し、Leonarda Dacewiczの挙げている近世期のサンプルはポドラシェ県と言った東部ポーランドなのである。

要するに、この2つの見解であるが、正直相補的に使えるのでは、というのが私見ではある。つまり、以下のようなものである。

  1. (Christian Methnerの私見は置いておいても)中世期にドイツの言語学会が言うように現在のポーランド西部で、ドイツ系住民の中でスラヴ系の名前をドイツ風にしたメトネル姓が誕生した
  2. 近世期にドイツ系住民の名前としてメッツナー姓が東部ポーランドで認知され、ある程度交流もあったのでよりスラヴ風に言い換えられてメトネル姓となった
  3. という2は置いておいても、1で成立したメトネル姓の家族グループも普通に東部に広まっていった

要するに、メトネルさんとはある程度段階差を持つプロセスを経て、ポーランドを中心に広まっていった姓というのが一番確からしいのだろう。よって、スラヴ系とドイツ系住民が交流する地域で生まれたは共通しつつも、初めからメトネルさんと名乗った集団と、ある時期からメトネルさんとなった元メッツナーさんの最低2パターンはいるのだろうとは思う。

オチ

ただ、上記仮定がどちらであれ確実なことがあるので、とりあえず一言だけ言っておこう。エミリィ・メトネルの認識全然違うじゃん。

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