エミリィの誕生と成長
若き日のエミリィ・メトネルとニコライの誕生
ニコライ・メトネルの長兄・エミリィ・メトネルは、1872年12月20日(グレゴリオ暦)/12月8日(ユリウス暦)に生まれました。
弟の私より7歳くらい上です
彼の父・カール・メトネルはモスクワ・レース工場の経営者の一人でした。彼の言によれば、若いころ自分の意志と異なり親戚の下で丁稚奉公に近いことをやっていたので、文化的な素養が伸ばせなかったことを悔いていたそうです。
もしかしたら、それもあって我々子供たちへの教育が手厚かったのかもしれませんね
これに輪をかけたのが、カールの妻であるアレクサンドラの実家・ゲディケ家やそのさらに母方のゲプハルト家が、代々文化人を輩出した家だったというものでした。
このような家庭で、エミリィ・メトネルはどのように育ったかはよくわかりません。しかし、エミリィの言葉によれば、幼いころから悪夢に苦しんでいました。さらに、1881年のアレクサンドル2世の暗殺をきっかけにそれは悪化したようです。
テロで殺されました
うなされて、とてもじゃないけど眠れない……
この中で、弟・ニコライが生まれました。幼いころから音楽の才能を発揮したニコライは、さながらペットのようにかわいがられ、その上の兄である三男・アレクサンドルよりもめきめきとピアノ・ヴァイオリンを上達させました。
おまけに作曲まで始めてしまったのです。
この辺の下りは私の方の人生を見てください
このような弟に、エミリィは自分が音楽を学ばなかったということもあり、徐々に執着していくようになります。
弟にはあんなに早熟の才能があるのだから、
きっと立派な人間になるのだろう
しかし、エミリィはギムナジウムで学ぶなかで、偽メニエール病になったそうです。医者の診療では肉体的には全く健康だったのだが、彼は心理的な要因で右耳の聴覚が落ちてしまったのです。
医者の話ではどこにも問題ないというけど、
それでも右耳がまともに聞こえないんだ
この、音楽において重要な要素である聴覚を損なった事実は、エミリィをより弟に執着させたと言われています。また、母親が音楽の才能に優れた弟たちを手厚く育てたことが、さらに助長させました。
弟には、代わりに自分の理想をかなえてもらおう
きっと人生を賭ける価値があるはずだ
兄さんがそう言うなら……
学生時代のエミリィ
エミリィはこの夢の実現のために、音楽の理論面には詳しくなろうと努力します。この結果、経験不足のニコライは、エミリィを指導者とみなすようになりました。
しかし、一方でエミリィは、学校ではカジミール・パヴリコフスキーというラテン語教師に虐げられ、ギムナジウムを転校する羽目になってしまいます。
あんな横暴な教師がいるところで勉強なんかできるか!
やがてエミリィがモスクワ大学の法学部に進みました。一方で、弟・ニコライは兄などを味方につけて反対する両親を説得し、モスクワ音楽院に進んでいきました。
音楽のことしか考えられないんだ!
もう音楽だけやらせてくれ
ここまで来たんだから、ニコライは音楽一本でやらせるって覚悟を決めてくれ!
こっちはとっくに人生かけるって腹づもりなんだから
このニコライ(とアレクサンドル)を音楽院に行かせた結果、少なくともある時期からエミリィは代わりに自分が指揮者になるのを諦めたと思うようになりました。これが事実であったかどうかはわかりません。
弟のために夢を犠牲にしたのだから、
弟にはぜひとも大成してもらわないと……
1895年、エミリィは大学の傍ら、フリーランスの音楽評論家の活動を始めます。1896年にはウィーンにわたり、ハンスリックと知り合います。
おや?あの人はもしかして……?
ああ、ブラームスだよ
ただ、伝記によると、私は会ったというよりも、
ハンスリックの家にいたのをたまたま見かけたくらいの接点のようです
この旅の結果、エミリィは指揮者・アルトゥール・ニキシュに自分の理想を見始めます。
まあ、ざっくり、
フルトヴェングラーの前世代としてベルリンフィルを治めていたと覚えてください
彼のような音楽が至上なのかもしれない……
その一方で、この頃メトネル家の次男のカールが、ユダヤ人で正教に改宗した家のエレーナ・ブラテンシーと結婚します。
さらに、ニコライは当初その妹で、モスクワ音楽院でヴァイオリンも修めたようなアンナに惚れます。ところが両親が反対したようです。
一方で、エミリィも、ブラテンシー姉妹のアンナとそのさらに妹のマリアの両方に関心を示し、やがて日記の中でアンナへの愛を宣言します。
弟が気になるが、
あのアンナと一緒になることが、理想なのかもしれない……
一方、エミリィは大学の頃から、ゲーテ、ニーチェ、ワーグナーらに関心を持ち始めます。これを後押ししたのが、母方の祖先であるゲプハルト家が、ゲーテやワーグナーと交流を持っていたという事実でした。
19世紀のドイツ文化はなんてすばらしいんだ!
それに、うちの先祖がそれに関わっていたなんて!
こうしたエミリィは、新しい夢を持ち始めました。
強力な指導者が現れて、混沌とした民衆を星座のようにまとめてしまえ!
そうすれば、これまで人類史になかった新しいエネルギーすら産む集団が誕生するんだ!
1899年の卒業試験中、エミリィの不眠症はひどくなりました。しかし、ラフマニノフとの逸話でおなじみのニコライ・ダーリ博士の治療で楽になったようです。
私に任せておけば大丈夫
例のピアノ協奏曲第2番のあの人です
この不眠症は、卒業後、徴兵されて軍隊生活を送ったことで、ある程度落ち着いたようです。
しかし、この時期にエミリィは、ある夢を見ました。
白い蛇と黒い蛇が戦っている!
最後には白い蛇が黒い蛇を滅ぼしてしまった!
いったいこの夢は何だったんだ……
生涯にわたってエミリィの記憶に残るこの夢は、エミリィにとってはドストエフスキーを読むのと同様に、恐ろしいものとみなしていきました。