新たな人生の始まり
ユング一派への参加
ユングが戻ってくると、モルツァーの治療を止めさせませんでした。ただし、以後ユングは、月に2回の自分のコミュニティーの集まりに、エミリィも参加させるようになりました。
エミリィはドルナッハの人智学協会なんかよりも理にかなった精神分析の学派ができつつあるのを感じます。また、ベールイなどのロシア文学に精通した精神分析家のハンス・トリュープや、ロックフェラー家の出身でユングに治療されているエディス・マコーミックと知り合いました。
ハンス・トリュープです。
あなたたちの受け継いできた文化に興味があります。仲良くしましょう
あのロックフェラーの娘のエディス・マコーミックです
これから仲良くしましょう
ユングの近くにいた方が、よっぽど面白い人間に出会えるかもしれない
こうして、エミリィは自分の激昂によって、ドルナッハの共同体との関係を元通りにできなくなった今、チューリッヒで孤独に過ごすことはなくなりました。
また、チューリッヒで医学を学んでいた、ロシア系ポーランド人であり、ユダヤ系のレイチェル・ラヴィノビッチとも知り合いました。エミリィは最初ロシア人だと告げずにドイツ語だけで話し、自分のことをヴェルフィングとも呼ばせます。エミリィは自分の反ユダヤ主義を彼女に披露し、彼女のことを「過去完了形」と呼んでも、特に彼女は気にしなかったようです。
君たちは所詮過去の存在だ。
我々の方がよっぽど優れているよ
エミリィの方はアンナに顔が似ていたのを気に入ったのですが、やがてお互いに民族アイデンティティについて活発で健全な議論をする仲になりました。レイチェル・ラヴィノビッチが、東欧のユダヤ人社会主義者のことを批判的に見ていたくらいの存在であったのもあるのでしょう。
マズダズナン思想との出会い
7月にはエミリィは心機一転して部屋を移りました。新しい部屋の大家は、20世紀初頭にゾロアスター教をベースにオトマン・ザール・アドゥシュト・ハニッシュによって提唱されたマズダズナンの信者でした。
我々は、ゾロアスターの思想を復興させ、選ばれし純潔のアーリア人になるのです
人を人種的に純潔にするにはどうすればいいのか、
具体的に書いてくれているな……
この出会いによって、精神分析によって、エミリィには肉体と魂の相互作用で解放された領域にこそ、自分の人生における使命があるのだという、道筋が見えてきます。つまり、人智学協会とはある種似たようなオカルト団体ではある、マズダズナンの教義を、ツァラトゥストラやニーチェとの親和性から選び始めたのです。
魂だけ解放しても、人はおかしくなってしまう……
肉体も併せて解放するための工程が必要なんだ……
ワルシャツカとのセラピー
エミリィはモルツァーのセラピーを終えると、直ちにチェコ生まれのマズダズナンのヴィルヘルム・ワルシャツカの下で4日間のコースを受けました。
ていうか、よく見たらモルツァーと同じビルに住んでるじゃん
エミリィは、ワルシャツカの生理学・骨相学・頭蓋学の知見に興味を持ちます。エミリィは、ワルシャツカがこれまで自分が気づいてこなかった、魅力的な性格と武骨な顔つきに注目したことに、満足げでした。
あなたの顔立ちはまるで武人のようだってさ
また、エミリィは自分のゲーテ論への書評が全く載らなかったので、シャギニャンに依頼をしたようです。
こりゃあいくらなんでも手放しでほめすぎだ!
しかもゲーテ論なのに、こんな国粋主義をむき出しにして、解釈違いだよ
ドルナッハでの占星術の導き
ワルシャツカとの交流で気を良くしたエミリィは、久しぶりにドルナッハに向かいます。
ベールイと仲直りしましょう!
いや、もういいんだ……
この訪問の時は、ベールイとのことよりも、むしろヨゼフ・エングレルトがエミリィとゲーテのホロスコープを比べたことの方が重要だったようです。
エングレルトは、エミリィが唱えるように、2人が太陽に関係が深い正午に生まれたことを説明しました。ただしエングレルトは、エミリィがガイア(エミリィの言うエルダ)の息子である天王星との結びつきで、オカルティズムとの結びつきが強いこと、真の自己表現のチャンスがなければ人格が崩壊する恐れがあることも、エミリィに伝えました。
真の自己表現のチャンスねえ……
ワルシャツカとエングレルトのおかげで、今やるべきことが分かった気がする……
このときエミリィは、本を書き終え苦悩の中に沈んでいったようなベールイのことは、避けていました。一方のベールイは、家族問題、エミリィとの決別、ドルナッハ内の対立などを抱え、まるで自分自身で自分の精神に実験をやっていたような状態でした。さながら、暴力行為などを働かせようとする秘密の暗号を送ってくるような、闇の力に支配されたのではないかと思っていたと自分でも書き残しています。
なにか闇の力によって自分の心身がコントロールされてるみたいなんだ……
私はファウスト博士で、ツルゲーネワやポッツォがメフィストフェレスから助けようとしているのかもしれない……
さらには、ベールイはこんな夢まで見ます。
これは?エミリィ?
エミリィの父親の前で、私がエミリィを論破してエミリィが恥ずかしそうにしている……
エミリィの父親がゲーテに変わった?いや、これはむしろシュタイナー先生?
新たな希望
もちろん、エミリィはこんなことも何も知らず、ドルナッハでの日々をユングに報告していました。ユングは追加のセッションを行い始めると、エミリィはユングが自分に魅了されているのだとアンナにまた送っています。
エミリィは占星術の話などをユングに話し、ラビノヴィッチのことを話すと次の2つを助言した。ラビノヴィッチをサンプルに精神分析を行ってみることと、自伝を書くことです。
これまで私とやってきたように、ラビノヴィッチに精神分析をしてみなさい。
あと、自伝を書いて、一度自分の心を整理しなさい
ワルシャツカの研究にも興味を持ったようだし、
きっとこの大戦が終われば科学はもっと統合されるのだろう……
なんとかその場に加わりたいものだなあ……
1915年の夏にはパラケルススの家や、マリア・アインジーデルン修道院など、ゲーテとユングにちなんだ旅に出ました。
この頃、イリインから、ユングの精神分析はどうかという手紙が来ました。
あなたは指揮者になりたいのでしょう?
フロイトと違ってユングはどうです?私みたいにちゃんと救ってもらえてますか?
小さいころにまで、精神の破壊が進行していたようだ。
きっと、ユングやモルツァーは、未来に進むために私の過去を取り戻したいのだろう
モンテ・ヴェリタでの日々
1915年9月になると、エミリィはアルプスを巡りました。そこで、20世紀初頭にアンリ・エーデンコーフェンやイダ・ホフマンらが作った、自由人たちの集落モンテ・ヴェリタに6週間ほど滞在しました。
ここは真実の山さ。
自然に身を任せてれば、すべてそれでいい
ここにいれば、きっと心も良くなるでしょう
彼らの行う太陽崇拝は、エミリィに希望を与えます。この結果、エミリィは現世で新しく生まれ変わらなければならないという決心を固めました。
ニーチェは、心だけ解放させようとして自分はおかしくなってしまったんだ
フロイトは心さえ良くなれば、体のことは二の次だったみたいだし、
関わらなくて正解だったのかもしれないな
また、エミリィはこの山の中で、バルト系ロシア人のフェルディナント・フォン・ウランゲルと出会います。
フェルディナント・フォン・ウランゲル?
あなたはもしかしてあのアラスカ開拓の……?
そう、その息子のロシア貴族だよ、元ね
病気で職も辞め、今はスイスで療養生活さ
エミリィは父と同じ出自のこの老人を気に入り、戦争を客観視できるのはロシア系ドイツ人だけであるという彼の指摘に感銘を受けました。また、彼がチェンバレンと交流があり、チェンバレンが戦争で病んでいると知った結果、ますますチェンバレンに近しさを感じました。
やはり、チェンバレン氏とは何か運命に導かれているのかもしれないな……
再度繰り返しますが、彼は私と会うことは生涯ありません
ここで、エミリィは、父親・カールに対し、精神分析と父から勧められたある本の類似点を書いた長い手紙を送ったらしいです。らしいというのは、現物は残っていないので、数日前に予備的に送った短いものから記載内容が推測されるのみだからです。
お父さんも私と一緒で、お母さんから見放されていたんだろう?
こないだ勧められたプレンティス・マルフォードの本と言ってることは近いし、きっと精神分析でいい結果をもたらすよ
これがまさに、あの「引き寄せの法則」に繋がっていく、
ニューソート運動で必ず触れられる古典の、私の本ですな
ベールイの自伝
エミリィはこうしてすっきりとした気分で山を降り、ドルナッハをまた訪れました。
また来たの?
ベールイなら今自伝を書くので忙しいよ
エミリィはアンナへの手紙で、精神分析も知らないベールイなんて『ペテルブルク』の再演をやるだけだとなめ切っていました。
ベールイが書く自伝なんて、『ペテルブルク』の焼き直しでしかないんじゃないか?
ただし、実はベールイはシュタイナーを通じて表面的にフロイトなどの理論を学んでいた可能性は高いです。
ここで、エミリィはベールイもチューリッヒやアルプスを訪れていたことを知り、自分と同じ道をたどっているような感慨も受けました。
結局、ベールイの人生とはこの先も交差していく導きなのかもしれないな……
このときベールイが書いていたのが、”Котик Летаев (Kotik Letaev)”です。エミリィが唱えた集合的無意識に近い思想が、過去作品よりも強く打ち出された作品であり、ユングの思想とも近いものでした。
早い話、エミリィが達成すべき自伝をベールイの方が先に実現させてしまったのです。
ユングの治療への諦念
1915年12月、この頃シャギニャンはニコライとアンナの家に住んでいました。彼女は最初の小説を書き始め、エミリィとの自虐的な友情から脱却しようと試みていました。
もういい加減、ちゃんと独り立ちしよう
なお、この頃スクリャービンを追悼する、ラフマニノフによるコンサートの感想をシャギニャンはエミリィに送りました。ただし、アンナに対しスクリャービンの死をルシファーの恍惚とした信奉者が亡くなったと述べたエミリィが、ラフマニノフやクーセヴィツキーといった同類をどう受け止めたかは、察してください。
スクリャービンが死んだ?
あんなルシファーの手先が死んだなんて、なんてめでたいんだ
この年にクーセヴィツキーがモスクワ音楽院の教授職になり、ニコライにも手を差し伸べました。この結果、ニコライはようやくモスクワ音楽院の教授職に再任しました。
そういや、数年前からイッポリトフ゠イワノフと交渉してるんだって?
手助けしてあげるよ
この人数なら回し切れるかな?
優秀な人しか見てないんだし……
こうした中で、アンナやシャギニャンはエミリィにモスクワの音楽状況のレポート的なものを提供するようになりました。
エミリィは、ユングとの週に2回のセッションを再開させました。なお、この頃ヘドヴィヒ・フリードリヒもうわさを聞きつけてユングの治療を受けようとしていました。しかし、ユングはヘドヴィヒ・フリードリヒを治療不可能だと論じ、エミリィはユングが自分のことを正直に彼女に話しすぎだという不満をアンナに漏らしています。
あの娘はもう手遅れだよ
それにしたって、こっちがセラピー中話したことまで伝えすぎじゃないですかね
しかし、もうユングのセラピーは、何の魅力も感じませんでした。ユングは諦めていませんでしたが、1916年2月、エミリィはもう解決を諦め、モスクワで鬱々としていた1913年~1914年の方が、今に比べればまだ黄金時代だったととらえていました。
何とかするから諦めないでくれ!
これじゃあ、ベールイとやり合ってゲーテに助けてもらおうとしたあの頃の方が、
まだ良かったよ
おまけに、エミリィはニコライに対し、精神分析と同じ課題を与え、「ありのままの自分」を受け入れるように促したことで、怒らせます。エミリィは、結局自分がピアノの練習に注意を払わなかったことが、すべての不幸の始まりであり、ニコライは「音楽的な友人」で「音楽的な基準」であったエミリィを「永遠に」失ったことを強調しました。
変な理想なんか追わずにさあ、
「ありのままの自分」になるんだよ
何言ってるんだよ!
兄さん!
全部音楽の勉強やらなかったこっちが悪いの。
もう、お前の「指揮者」だったエミリィ兄さんなんていないんだよ
つまり、エミリィはもう自分のことを滅ぼしかけているのだととらえ、ニコライの作曲にも悪い結果をもたらすと考えていました。アンナに対しても、ロシアに戻ることは最後の崩壊への一歩だと添えていました。
もうあの「ヴォリフィング」エミリィ・メトネルなんて消滅しかかってるんだよ。
ロシアに戻ったら、きっと完全に終わってしまうのだろう
ユング派への傾倒
ユングの分析心理学を広めるためにアントニア・ヴォルフ(トニ・ヴォルフ)やエディス・マコーミックらが「心理学クラブ」を設立すると、エミリィもまた1916年2月26日の設立総会に出席しました。
これからは我々でユングの研究を広めるのです
素晴らしい考え!
「心理学クラブ」ねえ……
春の末にはマズダズナンへの関心が薄れた結果、信者の大家の下をさり、このクラブの敷地内に住み始めました。
もうマズダズナンなんてしーらない
エミリィはラヴィノビッチのみならず、マコーミックにマルガリータ・モロゾワやヘドヴィヒ・フリードリヒと近しい要素を見出し、関係を築き始めました。エミリィは、当初から彼女をムサゲートの資金源とし、ニコライの支援者にすることを考えていました。
あのマコーミック、うまく付き合えばニコライの力になってくれるかもしれない
つまり、チューリッヒでは、ユングがベールイの、マコーミックがモロゾワの、ラビノヴィッチがアンナの代理になったというわけです。
やがて、マコーミック、ユング夫妻、ヴォルフらとアルプスを10日間かけて旅しました。目的地はニーチェにちなんだシルス・マリアで、この旅の中でエミリィはユングの博識や明るさからますます彼がゲーテ同様の救済者である、という認識になり始めました。
エミリィ、こんな女所帯に呼んでしまったけど、
今回のピクニックは楽しいかい?
ユングはやはりゲーテなのかもな……
シャギニャンのラフマニノフからの卒業
一方、シャギニャンはコーカサスで新しい小説を作り始めていました。この小説は、フロイト、およびフロイト主義との対決を試みており、エミリィの精神分析があまりはかばかしい成果を上げていなかったことの影響だと思われます。
エミリィを見てると、やはり精神分析なんてろくなもんじゃないのかもしれない……
なお、このタイミングで起きたのが、回顧録に残るシャギニャンへのラフマニノフの内面の吐露、とくにニコライ・メトネルへの羨望の打ち明けでした。
あんなメトネルのような才能のある人間にはなれっこないんだ!
ラフマニノフさん……
こうした動向から、ある種のラフマニノフとの決着もこの小説の執筆に込められていたとされています。しかし、シャギニャンの勧めでラフマニノフが歌曲を作って成功していくと、以後も手紙での交流は続けていくものの、このタイミングでシャギニャンはラフマニノフの人生の舞台からある程度降りていくことになりました。
今回象徴主義詩人の詩を歌にする挑戦的な試みだったが、
うまくいったようだ……
よかったですよ、ラフマニノフさん!
これでもうやるべきことは終わった……