ニコライ・メトネルのピアノソナタ

ロシアにおけるピアノソナタ

ニコライ・メトネルの活躍した19世紀末~20世紀初頭とは、端的に言えばもはやソナタ形式の楽曲、とりわけピアノソナタというジャンルが西側ではもはや興味が持たれていなかった時代である。

例えば、一般的にピアノソナタの時代ともいうべき18世紀後半~19世紀初頭の人々では、以下である。

  • ハイドン:52~62曲
  • モーツァルト:18曲
  • ベートーヴェン:32曲
  • シューベルト:21曲

しかし、そこから少し後の19世紀前半~中ごろですら、激減っぷりである。

  • ショパン:3曲
  • リスト:1曲
  • シューマン:2曲
  • ブラームス:3曲(しかも全部若いころ)
  • ワーグナー:2曲

これ以降もさらに、わかりやすい有名人の名前を出すと、例えばドビュッシー、ブルックナー、マーラーらはピアノソナタなる楽曲を書いたことは一度もない。ラヴェルやブゾーニに象徴的なように、むしろ先鋭的な作曲家はソナチネなどの方に可能性を見出していた。

しかし、それがロシア圏では全く異なっていた。確かにチャイコフスキーやバラキレフもピアノソナタを書いたのだが、それは散発的な事例である。ところが、スクリャービンやメトネルを境に、ロシア圏ではピアノソナタの時代ともいうべきピアノソナタをやけに作る作曲家が多々現れ、多くの場合曲数も2桁まで至ることも多かった時代になっていたのである(この例外が2曲しか作っていないラフマニノフ)。

そして、このピアノソナタの時代に象徴的なのが、田中香月(2006)によると、単一楽章のピアノソナタがやけに作られていることである。音楽的な前提知識がない人のために説明すると、ソナタや交響曲などは元をたどれば、宮廷音楽的な舞曲のセットである組曲と、オペラの誰も歌わない音楽だけのパートが独立したシンフォニアの合流によって成立したもので、そもそも複数の曲である楽章がセットにされた存在である。つまり、本来セット売りのはずのピアノソナタが、なぜか1曲だけ作られるのがやたらと多い、という特徴がこの時代のロシアに見られるのだ。

田中香月はこの際スクリャービンのピアノソナタ第5番以降の影響を見て取ったが、同論文にもある通り、そのさらに前に単一楽章のピアノソナタを作っていた人間がいる。メトネルである。

確かにスクリャービンの影響力によって単一楽章のピアノソナタがやけに書かれる時代になったとは思うのだが、Hamilton(2017)などで指摘されるように、影響元の5割くらいはメトネルでもあるように思われる。例えば一定期間はメトネルのファン的な存在だったプロコフィエフやアレクサンドロフあたりは確実にそんな気もするし、フェインベルクなどのようにスクリャービンとメトネルのどちらからも影響を受けたであろう作曲家もいるので、正直この時代を招いた始祖の一人がメトネルだったといっても過言ではないと思う。

ということで、メトネルが作った14曲のピアノソナタを実際にそれぞれ見ていこうと思う。

概要

番号楽章作品番号作曲年小節数ソナタ形式の使用提示部・展開部・再現部の章節数の割合主題の数調性主題の調性関係
(提示部・再現部)
拍子拍子変化ポリリズム備考、『』内は表題
第1番Op.51902-1903912
第1楽章25226:25:492個f moll近親調以内4/43:4
第2楽章139×2個c moll2/2×
第3楽章8941:16:432個Es dur近親調以外3/42:3第4楽章へはattaccaで連携。
第4楽章43134:28:383個f moll近親調以内2/4×第3楽章への主題が用いられる。
第2番Op.11-11904-190822142:20:382個As dur近親調以内4/4×2:3、3:4、3:5
第3番Op.11-21904-190811435:9:24:㉜2個d moll近親調以内2/42:3『ソナタ・エレジー』 
◎形式の拡大:㉜はCoda。
第4番Op.11-31904-190824228:29:23:⑳3個C dur近親調以内4/4××◎形式の拡大:⑳はCoda。
展開部とCodaで主題3が用いられる。
第5番Op.221909-191042534:12:⑯:384個g moll近親調以内4/42:3、3:4、3:5◎形式の拡大:⑳はCoda。
提示部:主題1、2、3、間奏部:主題4、再現部:主題2、3、1
第6番Op.25-11910-1911272『おとぎ話ソナタ』
全楽章を通して主題は計6個。
第1楽章11451:26:233個c moll近親調以内4/4×2:3提示部:主題1、2、3、間奏部:主題4、再現部:主題2、3、1
第2楽章83×1個Es dur3/4×2:3主題4と1、2、5、3のモチーフ。
第3楽章へはattaccaで連携。
第3楽章75×5個c moll5/24:5主題5、6、4、2、1
第7番Op.25-21911723⑤:14:6:15/22:12:263個/3個e moll近親調以外/近親調以外5/42:3、3:4、5:6副題「夜の風」
◎2つのソナタ形式が連携:⑤は導入部。
主題は計5個=導入部:主題1、提示部:主題1、2、再現部:主題2、3、1/提示部:主題4、5、再現部:主題1、4、5
第8番Op.271912-1914737『ソナタ・バラード』
楽章間はattaccaで連携。
第1楽章29627:23:28:㉒2個Fis dur近親調以外6/8××◎形式の拡大:㉒はCoda
第2楽章441⑮:29:33:234個fis moll提近親調以外、再以内4/42:3、6(2、3、4):5◎形式の拡大:⑮は導入部。
導入部:主題1、2、提示部:主題3、4、1、展開部:主題2、再現部:主題3、4
第9番Op.301914-191761029:29:25:⑰2個a moll近親調以内3/4×2:3◎形式の拡大:⑰はCoda。
第10番Op.38-11918-192043039:25:363個a moll提:近親調以外、再:以内2/4××『回想ソナタ』
提示部:「回想のテーマ」、主題1、2、再現部:主題1、2、「回想のテーマ」
第11番Op.39-51918-192030549:17:21:⑬3個c moll近親調以内4/4×2:3『悲劇的ソナタ』
◎形式の拡大:⑬はCoda。
提示部:主題1、2、
、再現部:主題1
第12番Op.53-11931-1932670『ソナタ・ロマンティカ』
楽章間は全てattaccaで連携。
第1楽章11526:32:422個b moll提:近親調以内、再:以外4/42:3
第2楽章265×4個es moll3/4××
第3楽章5639:16:452個h moll提:近親調以内、再:以外9/8×
第4楽章23418:39:14:㉙3個b moll提:近親調以外、再:以内3/4×2:3、3:4、3:8◎形式の拡大:㉙はCoda。
提示部:主題1、2、3、再現部:1、2
第13番Op.53-21931-193244820:45:23:⑫2個f moll提:近親調以内、再:以外3/42:3『不吉なソナタ』
◎形式の拡大:⑫はCoda。
第14番Op.561937413『牧歌ソナタ』
第1楽章140×2個G dur3/4×2:3
第2楽章27335:18:473個G dur提:近親調以外、再:以内2/4×2:3提示部:主題1、2、3、再現部:主題2、1、3
・ソナタ形式の使用…◎は形式の拡大
・提示部・展開部・再現部の少数節の割合…は拡大部分
・割合は、小数点第3位を四捨五入して計算した。100%にならない場合は、優位な方を繰り上げ調節した。
・ポリリズムは、1小節以上連続使用の箇所である。
・Codaは作曲者が楽譜に記したものを扱った。

出典:前田則子・水谷礼佳(2016)

各ソナタの概要

ピアノソナタ第1番ヘ短調 Op.5

もしかしたら16歳ごろから着手したとされる。
既にこのころから単純な素材を用いて複雑に構成する傾向が強い。

ピアノソナタ第2番変イ長調 Op.11-1

ピアノソナタ第3番ニ短調「エレジー」 Op.11-2

ピアノソナタ第4番ハ長調 Op.11-3

1楽章のソナタが三作連なっており、三部作ソナタと称される。アンナの兄弟で、血の日曜日事件の後秘密警察に追われ自殺したアンドレイ・ブラテンシの追憶と、ゲーテの『情熱の三部作』を想起している。

ピアノソナタ第5番ト短調 Op.22

単一楽章のピアノソナタで、明らかにフランツ・リストのロ短調ソナタを意識している。

ピアノソナタ第6番「おとぎ話ソナタ」 Op.25-1

3楽章の短い楽曲だが、物語性があるソナタ。

ピアノソナタ第7番ホ短調「夜の風」 Op.25-2

チュッチェフの詩『夜の風』を意識した曲で、セルゲイ・ラフマニノフにささげられた。あのカイホスルー・シャプルジ・ソラブジがほめたたえた、最大の難易度を誇る楽曲。

ピアノソナタ第8番「バラード風ソナタ」 Op.27

当初は単一楽章として開始されたが、後から3楽章に構成が変わった。
おとぎ話ソナタをさらにパワーアップさせたような拡大をした楽曲で、ベートーヴェンのピアノソナタ28番を思わせる。

ピアノソナタ第9番イ短調 Op.30

単一楽章のピアノソナタで、なんかスクリャービンっぽいらしい。

ピアノソナタ第10番「回想」 Op.38-1

単一楽章。「忘れられた調べ」第1集の動機のひとつとなっていたオープニングテーマ
曲集全体を貫く楽曲なので、メロディーが同じ作品が忘れられた調べ第1集の中にはいくつかある。

ピアノソナタ第11番「悲劇的」 Op.39-5

かの有名な「ではメトネルのピアノソナタ第十一番通称「悲劇的ソナタ」を」の画像の楽曲(『世にも不実なピアノソナタ』の本連載版では削られたのでもう読むことは不可能だが)。
「忘れられた調べ」第2集の最後の曲。
結構な頻度で単一で演奏されるが、メトネル本人としては前曲の「朝の歌」と続けて演奏してほしかったらしい。

ピアノソナタ第12番「ロマンティカ」 Op.53-1

全4楽章だが、1930年代の同時代人への宣戦布告めいた、チャイコフスキーやバラキレフといった過去の作曲家たちを思わせる古めかしい楽曲。

ピアノソナタ第13番「嵐」 Op.53-2

ロマンティカと続けて、同時代人とはそりがあわないわ、全然収入が入らないわで落ち込んでいた時期の楽曲。
これまでの自分の音楽性を総括したような総集編みたいな楽曲。

ピアノソナタ第14番「牧歌ソナタ」 Op.56

前2作と一変して難易度が一気に低くなったが、メトネルのやりたかったことは前2作とほぼ同じで、かなりの心血を注いだ楽曲。

参考文献

  • 田中香月(2006)「ロシアにおける1905年から1917年までのピアノ・ソナタに見られるソナタ形式の研究」エリザベト音楽大学紀要XXVI、pp17-32
  • 前田則子・水谷礼佳(2016)「メトネル作曲ピアノソナタの演奏法研究―エドナ・アイルズ編「メトネルのピアノ奏法」からの検討―」奈良教育大学紀要第65巻第1号、pp85-94
  • Hamilton, Michael(2017)「German Blood Russian Birth: Nationality in the Solo Piano Music of Nikolai Medtner」Liverpool
  • Medtner, Nicolai(1998)「The Complete Piano Sonatas 1」U.S.A
  • Medtner, Nicolai(1998)「The Complete Piano Sonatas 2」U.S.A
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