ざっくりした定義
ゴシック・ロックとはそもそもどのような音楽なのだろうか?
日本語にもなっている、キャサリン・チャールトンの『ロックミュージックの歴史』が割合端的な定義を載せているので、それを記載したい(原著は1990年の本なので、第1波の3バンドくらいまでしか載っていないが)。
いろいろなバンドがいろいろなやり方で自分たちの音楽にとりくみ、使う楽器もじつにさまざまであったが、基本的な性格はわりあいに一定していた。
というのは、この音楽に通底するテーマが、人間が制御しえない古代の力のイメージによって描かれており、音楽は、低い声、ベース楽器、そしてかなり遅めのテンポを強調する傾向にあったためである。
中世の世俗音楽に共通して聴かれたドローンも、ゴシック・ロックでは一般的であった。
また、エレクトロニクス効果が、ほとんど催眠的ともいえる短いメロディックなフレーズの繰返しをおこなうために応用された――つまりスタイルの点で、フィリップ・グラス、あるいはスティーヴ・ライヒなどミニマリズム作曲家によるテンポ遅めの作品に近づくこともしばしばだった。
ドラマーの活力はこの音楽の暗鬱ムードをだいなしにしてしまうだろうから、バンドの多くはドラム・マシンを採用した。そしてそのドラムマシンは、たえずロックのバックビートを鳴らしているわけではない。
オルガン――本物にせよエレクトロニクスにせよ――が使われるときは、エレクトロニクスのリヴァーブ使用によって、中世の巨大な石造の聖堂のオルガンらしく響くようにした。
キャサリン・チャールトン(佐藤実訳)(1997)(※原著は1990)『ロック・ミュージックの歴史』下巻pp159-160
ゴシック小説や中世の世俗音楽で描写された城は、ゴシック・ロック・ミュージックの源のほんの一部にすぎなかった。
パンク・ムーヴメントで表現された、社会を否定的にとらえる視点から展開をみたゴシック・ロックは、標準的なロックのドラム・ビートのかわりにドローンやバス・ドラムのパワフルなドスッ、ドスッという音も使ったヴェルヴェット・アンダーグラウンドのプロト゠パンク・ミュージックに里帰りしていた。
またデーヴィッド・ボウイのひじょうにディープでドラマティックなヴォーカルの音色が、それより低いピッチで歌って効果を深めたゴシック・シンガーをのぞいて、ゴシック・ムーヴメントの男性シンガーの多くにコピーされた。
キャサリン・チャールトン(佐藤実訳)(1997)(※原著は1990)『ロック・ミュージックの歴史』下巻pp160
要するに、だいたい以下の感じの音楽であるらしい。
- ボーカルが低い
- ベースが目立つ
- ドラムは、ドラムマシンの多用などでビートは目立たないようになっているが、バスドラムが強い
- テンポが遅く、原義的なミニマル・ミュージックのようなループが目立つ音楽構造
- オルガン的に使われるシンセサイザーなどの多用
前史
ゴシック・ロックとは、原義的に言えば、周知の通り1970年代末~1980年代初頭にかけてイギリスで一世を風靡したポストパンクという音楽ジャンルの一分派である。ということで、通常Joy Division、Siouxsie and the Banshees、Bauhausの3バンドが出そろった1980年前後がエポックメイキングとされる。
このため、例えばSiouxsie and the Bansheesのボーカルであるスージー・スーがもともとSex Pistolsの親衛隊隊長であったなど、ゴシック・ロック通史はあくまでも前史にあたるパンクロック全盛期から主に動向が語られることが多い。
しかし、海外のゴス層にとっては周知の事実なのだが、そもそもゴシック・ロックなる語彙は、これ以前から存在していた。
つまり、このJoy Division、Siouxsie and the Banshees、Bauhaus、The Cureなどの音楽をいい感じに形容したかった時に、昔いたゴシック・ロックみたいな音楽性のバンドという枕詞を当てはめたことが、そもそもジャンルどころかゴスという文化の命名に至った経緯なのである。
ということで、その概説をしている以下の動画や、各ゴシック・ロック史をまとめた書籍、サイト類から、おおよその素描を描く。
暗くて独自の世界観によるパフォーマンスの歴史
通常、ゴシック文化を音楽分野に限って語るうえで最大限遡って言及される人物は、1956年に発表した『I Put a Spell on You』が代表曲として知られるブルース歌手、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスである。というか、この『I Put a Spell on You』という楽曲のライブが、まさにゴシック・ロックにおけるパフォーマンスを一番最初に始めた開祖的な扱いをされている。
当初の予定では、この『I Put a Spell on You』は、その2年前くらいに流行っていた、ジョニー・エース『Pleading My Love』に影響された感じの3拍子のバラードであった。実際、1955年末にリリースされた一番最初のバージョンでは普通のラブソングである(実際、後世のニーナ・シモンやCreedence Clearwater Revivalなどはこっちのバージョンで歌っている)。
ところが、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスは1956年にレコード会社を移る。これに伴い、この楽曲を再録音したところ、プロデューサーのアーノルド・マキシンが思いっきり酔わせて歌わせたらしく、ホーキンス自身が後世レコードした時の記憶がないと述べているような、派手に叫ぶような歌唱が特徴的な音源になったのである。
そのあまりにも元の曲と違う楽曲はチャートにランクインすることはなかったものの、カルト的な人気となってミリオンヒットとなった。また、以後のホーキンスが髑髏や棺桶、骨などを用いたダークなライブパフォーマンスも大変特徴的となった。つまり、なんか暗い世界観の派手なパフォーマンスをする感じのアーティストやバンドのパイオニアとなったのが、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスということらしい。
この後、アメリカ、イギリスのどちらにおいてもホラーな世界観を題材にしたポップス歌手がしばしばみられるようになる。のだが、それらは別に触れたい。
次に言及されるのは、1960年代後半から登場する、ロック史におけるかの有名なThe Doorsである。1967年にリリースされたファーストアルバムである、バンドと同名の『The Doors』において既に特徴的なように、ジム・モリソンの歌唱や、詩的で暗い世界観の歌詞が彼らの持ち味であった。
ということで、1967年10月に、さっそくライブのレビューをした評論家のジョン・スティックニーが、このThe Doorsの『The End』のパフォーマンスを評して、ゴシック・ロックと形容している。このようなジム・モリソンのパフォーマンスは後世の狭義のゴシック・ロックのボーカルたちの手本となった。Joy Divisionのイアン・カーティス、The Sisters of Mercyのアンドリュー・エルドリッチといった、ジム・モリソン風の歌唱がゴシック・ロックの一つの指標とされていくのである。
この同年には、もう一つゴシック・ロック前史に欠かせないバンドである、The Velvet Underground(デビュー時のバンド名問題は置いておく)が登場する。というか、ぶっちゃけこのバンドはロック史において基本的なフォーマットを用意した存在なので、どのジャンルにも欠かせなかったりはする。
アンディ・ウォーホルのプロデュースでおなじみの彼らは、それまでのポップスと比べた場合、あからさまに歌詞が暗かった。また、ボーカル兼ギターのルー・リードのギター奏法は、単調なパターンを独特の響きを持たせて繰り返す特徴的なものであり、これまた踏襲されていく。
一方で、このThe Velvet Undergroundに、デビューアルバムの時にだけいたことで有名なボーカルのニコは、以後もゴシック・ロック史にそこそこの影響を与えていた。
つまり、ニコがバンドをあっさり去った後、The Doorsのジム・モリソンに書いてもらった曲などで歌った1968年のアルバム(日本語版Wikipediaはなぜか年を間違えている)『The Marble Index』が、ゴシック・ロック通史において重要な存在となる。
ニコは、この時ブロンドヘア至上主義に反旗を翻し、髪を茶に染め、黒服を身にまとったパフォーマンスを行っていた。そして、この時の楽曲に特徴的なのが、ピアノやヴィオラなどを中心とした、かろうじてロックやポップと言えなくもないくらいの、ほぼアンビエントな楽器編成である。さらに、楽曲はプログレの正反対をいくかのようなシンプルな構造であり、徐々に後世ゴシック・ロックに踏襲される楽曲フォーマットが確立しつつあった。
また、ハードロックやメタルの領域からも、Iron Butterfly、Black Sabbathなど明らかに世界観や音楽性に影響を与えてそうなバンドもいる。この中で特に言及しておきたいのが、アリス・クーパーである。このアリス・クーパーとは、要するに、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスをさらに進化させたような、自殺ショーや猟奇的なライブパフォーマンスを繰り返した有名人である。
グラムロックの時代
そんなこんなで、1970年代、ついにイギリスがグラムロックの時代に入る。このグラムロックとは、デビット・ボウイに象徴されるように、男女差が希薄でありつつも派手な衣装やメイクといった具合に、まさにTrad Goth層のビジュアル表現の直接的なきっかけとなった。
特にデビット・ボウイは、1974年のインタビューで自分のアルバム『Diamond Dogs』をゴシックと形容している。
音楽性でも、例えば、元はこのグラムロックのバンドであるRoxy Musicにいたブライアン・イーノの1970年代前半の楽曲も、明らかにJoy DivisionやBauhausといった初期のパイオニアたちに影響を与えている。例えば、機械的な小刻みなドラムや、とぎれとぎれのギター、イーノの淡白で鬱々とした歌唱などである。
さらに、デビット・ボウイとブライアン・イーノがタッグを組んだ1970年代の電子音楽的な要素の入った楽曲群も、ゴシック・ロックにおける電子楽器の使用に影響を与えていなくもない。
パンクの時代
一方、この傍らでパンクの時代も始まる。その中でも特に、プロトパンク世代の、ニューヨークのSUICIDEが、ギターもドラムも用いず、ドラムマシンやシンセサイザーを用いた暗い世界観の楽曲群を作っていた。こうしたバンドによって、ロックにドラムマシンやシンセサイザーを用いてもいいとする1980年代の流れが作られていく。
おそらくこのあたりの電子楽器の使用は、西ドイツのクラウトロックからの影響も大きいのだが、それらはダーク・ウェーブの記事で触れる。
また、自らをサイコビリーと称した、The CrampsのB級ホラー映画めいたパフォーマンスも、アメリカにおけるホラーパンクの皮切りとして知られる。
一方、イギリスでは、要するに体制批判などオルタナティブな存在であったはずのパンクロックのバンドたちが、逆に普通に一世を風靡してしまう。つまり、ビートルズの時代がもはや牧歌的であったかのようなレベルで、激しい怒りに満ちた音楽表現や、着たい衣服による視覚表現などをしてもよいと思う存在が増えたのである。
パンクからポストパンクの移り変わりの中で
こうして、ついに1970年代後半、ゴシック・ロックの最初の世代の時代に移る。
率直に言って、まだ1970年代におけるパンクロックのムーブメントの最後の世代とも言えなくもないのが、1976年結成のSiouxsie and the Bansheesである。確かにスージー・スーのアイラインや黒髪は、後世ゴシック・ロックのテンプレート的なアイコンともなるのだが、エジプトの化粧や電気ショックモチーフであり、パンクロックの文脈である。しかし、もはやSiouxsie and the Bansheesの音楽性はパンクではなく、ポストパンクの第一世代と言っても過言ではなかった。
このSiouxsie and the Bansheesらポストパンクの第一世代が一大スターとなっていくのが、1970年代末である。つまり、1977年頃にはSiouxsie and the BansheesとWireが一大勢力となっていたり、1978年にSex Pistols解散後にボーカルのジョン・ライドンが結成したPublic Image Ltdが人気になったりと、ポストパンクの時代が始まる。
また、ポストパンクは、それまでのパンクロックから一転して、政治的表現やDIY精神などは踏襲しつつも、音楽性に関しては、何でもありの対象が広がった。彼らの音楽性のベースとなったものは、グラムロックやディスコ音楽、ドイツのクラウトロックやThe DoorsやThe Velvet Undergroundといった1960年代の音楽性など他の領域に及び、革新が図られたのである。
かくして、1978年7月に評論家のニック・ケントは、Siouxsie and the Bansheesを評して、The Doorsや初期のThe Velvet Undergroundのようなゴシック・ロック建築家ともいうべき存在と類似点の指摘や比較をできるようになったとしたのである。
つまり、かつてのThe DoorsやThe Velvet Undergroundのようなゴシック・ロックと表現したものと近いので、これらの新しい音楽もゴシック・ロックと呼ぶのがよい、ということである。
一方、このポストパンクのムーブメントは、マンチェスターにも及ぶ。このかつての工業都市は公害問題などもあって徐々に衰退しつつあり、閉塞感が生まれていた。
そこに1976年に現れたのが、Joy Divisionである。彼らは空虚さやニヒリズムを高らかに歌ったのだ。
このJoy DivisionやThe Fall、Magazineといったマンチェスターのポストパンクのバンドたちが、同じく一世を風靡する。そして、Joy Divisionも、1979年のインタビュー時にインタビュアーにポップの主流と比較すると、ゴシックと呼ばれている。
余談だが、Siouxsie and the BansheesやWireに感化されて、1978年にはウェストサセックスでThe Cureが結成されている。だが、彼らがこのムーブメントに躍り出てくるのはもう少し後である。
こうして、後にゴシック・ロックの開祖とされるバンドたちが出そろいつつあった。この後ポストパンクはネオ・サイケデリア、ニューウェーブやインディーロック、オルタナティブロックなどの歴史につながっていくが、一旦必要な個所は出そろったので、ここで筆をおく。また、アメリカの同様のムーブメントについては別のページで触れる。
初期のパイオニアたち
Bauhausという分水嶺
その傍らで、1978年にBauhausが結成される。
このBauhausの1979年に発表した、『Bela Lugosi’s Dead』は、ダブレゲエから影響されたギター、淡々とした機械的なドラム、そしてやたらと目立つベースと吸血鬼に関する暗い歌詞、とゴシック・ロックの基本要素がついに出そろうのである。
ということで、1980年、ゴシック・ロックの定義に大きく関わる、Siouxsie and the Banshees、Joy Division、Bauhausの3バンドが出そろった。
ジャンルとしての確立
こうして、1980年~1982年の間に、The Danse Society、The Sisters of Mercy、Dead or Alive、Play Dead 、The March Violets、The Lords of the New Churchといった後追いや、パンクバンドからの転向が始まる。
この代表格、かつ上記3バンドよりも後世に世界的に思いっきり有名になってしまったのが、前述のThe Cureである。
ただし、実はこのゴシック・ロック成立において神格化されているバンドたちは、一瞬で消え去っていった。
Siouxsie And The Bansheesは1983年を境にゴシック・ロックからは離れていき、Bauhausの実質的な活動歴もほぼこれに近い。Joy Divisionも1980年のイアン・カーティスの自殺を機に、Blue Mondayが世界的なヒットになるかの有名なNew Orderに変わり、The Cureもゴシック・ロックに感化されて日の浅い1982年の『Pornography』を境に分裂してポップス路線に移ってスターダムを駆け上がっていくのである。
とはいえ、この4バンドとその後追いの影響で、ゴシック・ロックの基本が確立する。テンプレートと言えるのは、微細ながらもリズミカルなドラム、主張の強いベースライン、ゆがんでかつ時折メロディックになるギター、といったものである。
Batcave世代
ゴシック・ロックは初期のパイオニアたちが消えていった1982年~1983年の間にも、Sex Gang Children、 Cocteau Twins、The Southern Death Cult、Skeletal Family、Specimen、Gene Loves Jezebel、Alien Sex Fiendといったバンドの結成が相次いでいく。
この近辺にデビューした世代に特徴的なのは、アメリカのデスロックの音楽性との融和である。つまり、上記1980年近辺の世代に比べるとメロディックなリード楽器が導入されたり、ネイティブアメリカン風の新しいビジュアルの要素が追加されたりしているのである。
特に、音楽で聴いてわかる大きな変化がある。ギターの主張が前世代と比較すると強くなった点である。これが例えばSiouxsie And The Banshees、Joy Division、Bauhaus、The Cureの代表曲を聴くと、ギターはそこまで目立たず、小刻みでミニマルな音形のベースとドラムの方がよっぽど目立っている印象を受ける。のだが、この世代になってくると、ギターが目立つ部分がどこかしらで出てくるのである。
また、1982年7月21日、ロンドンにクラブ「Batcave」がオープンした。こうしたクラブにBauhausのピーター・マーフィー、The Cureのロバート・スミス、Siouxsie and the Bansheesのスージー・スーなども訪れた。よって、Bauhausなどがステージ上で行ったゴシックなパフォーマンスを、早い話カリスマ的な歌手と聴き手が双方向的にゴスとはこういうものであるとお互いに共有できたのである。
Batcaveという新しいメッカでデビューし、英語圏全体でゴス層の新しいカリスマとなって行ったのが、SpecimenやAlien Sex Fiendあたりであった。
こうした結果、パンクとは間違いなく別カテゴリーで、ポストパンクの中でもビジュアル的にわかりやすい集団が世間的にも認知されていった。かくして、NMEことニューミュージカルエクスプレスが反社的なパンクのネガティブさとは異なる芸術的でメディア寄りだったバンドたちを「ポジティブパンク」と1983年に打ち出したように、早い話誇大広告もあってイギリスのみならずアメリカや大陸ヨーロッパ、東側世界や第三世界も含めて、ゴシック・ロックは世界規模になっていった。
なお、このプロモーション上一瞬使われた言葉に過ぎない「ポジティブパンク」という呼称が、日本ではジャンルのアイデンティティ形成につながるが、それは別の話である。
代表的なバンド
- Alien Sex Fiend
- Bauhaus
- The Birthday Party
- The Cure
- The Danse Society
- Dead or Alive
- Gene Loves Jezebel
- Joy Division
- Killing Joke
- The Lords of the New Church
- Play Dead
- Siouxsie And The Banshees
- Skeletal Family
- The Southern Death Cult
- Death Cult
- Specimen
- UK Decay
第1波
新たな3バンド
1980年代後半になると、上記バンドのサウンドに新しい要素を加え、次の世代へのカリスマとなるバンドが現れた。The Sisters of Mercy、The Mission、Fields of The Nephilimの3バンドがその象徴である。
実はゴシック・ロック第1波はこの世代のみなのか、上記のゴシック・ロックの古典ともいうべきSiouxsie And The Banshees、Joy Division、Bauhaus、The Cureらの世代も含めるのかは人によって異なる。
要するに、1980年代前半の世代は、あくまでもポストパンクであって、まだゴシック・ロックに舵を切ったわけではないという定義が主張できるのである。よって、ゴシック・ロック第1波を確固とした定義づけをする存在をする立場からは、The Sisters of Mercy、The Mission、Fields of The Nephilimのような音楽性を第1波のゴシック・ロックとしているようだ。
The Sisters of Mercyというそこそこの古参バンドについて
上記の通り、The Sisters of Mercyの結成は実は1980年である。そして、彼らは1983年にはアメリカツアーを行うほどの人気だった。このThe Sisters of Mercyが、おおよそ1980年代半ばに初期のパイオニアたちが消えると入れ替わるように一度求心性を帯びたのが、第1波の前史となる。
このThe Sisters of Mercyの特徴としては、例えばドラムマシンの導入など、より電子音楽的な方向に進んだというものである。というか、世はまさにニューウェーブ真っ盛りの1980年代であり、電子楽器の導入は時代のトレンドだったのである。
また、この辺はダーク・ウェーブの記事で触れるが、ゴシック・ロックに比べると電子音楽に寄った、後世ダーク・ウェーブという微妙に別ジャンル扱いされなくもないバンドたちが、イギリスの4ADレーベルなどでゴシック・ロックのパイオニアたちとよろしくやった影響もなくはない。例えば、西ドイツのXmal DeutschlandやオランダのClan of Xymoxといった面々がこれにあたるのだが、1980年代的な現象と一括もできるので、そこまで深堀はしない。
結論を言うと、ゴシック・ロックと言っても、この10年くらいの間だけでも3回くらい微妙にジャンルの音楽性がマイナーチェンジするのである。
- ポストパンクの流れから出てきたBauhaus的なゴシック・ロック
- アメリカのデスロックに感化されてややパンクに寄ったBatcave世代
- ニューウェーブ・ニューロマンティック的な趨勢に従い、電子楽器などで不足している技術を補った新しい世代
ゴシック・ロック初期世代が消えていく動向について
とはいえ、1984年~1985年初頭頃までは、まだ残党ともいうべきバンドが存在していた。
ところが、1985年頃を境に、上記のパイオニアどころか、Batcaveで育っていった後進たちも消えていった。
ということで、実は1980年代半ばとは、The Sisters of Mercyを除くと、あとはBalaam and the Angel、The Rose of Avalanche、Nervous Choirといった、正直ほぼ歴史に名前も残っていないようなバンドくらいしかいなくなってしまったのである。
とはいえ、この後The Sisters of Mercyとともに名をあげるFields of the Nephilimの結成も1984年なので、実は売れないバンドとしては地下水脈にそこそこいたと思われる。
ここで、以後のゴシック・ロックの話を始める前に、ある余談は触れておきたい。つまり、黎明期のパイオニアたちが、音楽性を変えてポップス路線に向かっていった点である。
まず、The Cureが脱ゴシックが本格化するのは前述の通りである。この結果、The Cureは世界的なバンドの一角になって行くのだが、そこについてはあまり触れない。
Gene Loves JezebelとXmal Deutschlandが合わさった結果誕生したのが、All About Eveであったのだが、このバンドも当初はある程度路線を続けていたのだが、次第に脱ゴシックする。またBauhausも1985年以降Love and Rocketsとなって行き、これまた音楽性が大きく変わる。
この中で、他ジャンルへの伏線として特筆すべきバンドがいくつかいる。まず、The Southern Death Cultが音楽性を変化させつつThe Cultになって大当たりした。のだが、このThe Cultはメタル路線に次第に向かい、ゴシック・メタル前史の最初の特異点として記載される。
続いて、Dead or Aliveはディスコミュージック調の音楽性になり世界的にヒットした。特に日本で人気を博したことで、ユーロビートの形成に一役買うこととなる。
また、Cocteau Twinsはニューウェーブの時代にドリーム・ポップと呼ばれる新トレンドの一翼を担い、シューゲイザーの成立につながっていく。
このドリーム・ポップを同じく推進し、ゴシック・ロックとレーベル的には同じなのでゴシック・ロックなのかどうか判断を迷う存在として、Dead Can DanceやThis Mortal Coilなどがいる。
3バンドが出そろう前史
というわけで、1985年のゴシック・ロックとは、The Sisters of Mercy、The March Violets、Red Lolly Yellow Lolly、The Three Johnsといった、リーズを中心としたドラムマシンがかなり目立っているバンドの一端として、かろうじて残っていたようである。
ただし、このうちThe Sisters of Mercyの1985年の解散騒動が、この後ゴシック・ロック史において逆にThe Sisters of Mercyがファッションリーダーになる契機となる。
まず、The Sisters of Mercyの一部のメンバーが、紆余曲折の末に、最終的にThe Missionを結成した。それとは別に、裏で活動し続けていたFields of the Nephilimが、最初のアルバム『Dawnrazor』を発表するのが1987年である。さらに同年The Sisters of Mercyも結局再結成して『Floodland』を発表し、The Missionも『God’s Own Medicine』をリリースする。
つまり、1987年に、ゴシック・ロック第1波の名盤が出そろい、次世代に続く音楽性が再確立したのである。
ということで、以後のゴシック・ロックとは、Siouxsie And The Banshees、Joy Division、Bauhaus、The Cureのような音楽とも、おそらく日本でしか通じないどころか多分現地で括られてもいないだろう、The Danse Society、Sex Gang Children、The Southern Death Cultの御三家のような音楽とも異なるものとなった。
この後10年くらいは、だいたいThe Sisters of Mercy、The Mission、Fields of The Nephilimみたいな音楽がゴシック・ロックとして扱われるのである。
一応の補足
なお、この1985年~1987年であるが、特にゴスにとって冬の時代だったわけではなく、インダストリアルにつながっていくSkinny PuppyやCoil、ダーク・ウェーブにつながっていくDepeche Mode、Clan of Xymoxの名盤が多数ある。なので、単純にゴシック・ロックではなく周辺領域に拡散していく時期にあたっていただけと思われる。
総括
というわけで、1980年代後半にThe Sisters of Mercy、The Mission、Fields of The Nephilimの3バンドが出そろったことで、第1波→第2波の移行が展開されたと言われている。こうして、この3バンドなどの影響を受け、いわゆる第2波のゴシック・ロックへと移っていく。
代表的なバンド
イギリス
- All About Eve
- Fields of The Nephilim
- Ghost Dance
- The March Violet
- The Mission
- Red Lolly Yellow Lolly
- The Sisters of Mercy
その他
- Christian Death
- Corpus Delicti
- Jacquy
- Mephisto Walz
- Sex Gang Children
- Xmal Deutschland
第2波
第2波ゴシック・ロックとはつまるところどういう音楽か
かくして、1980年代後半に浮上したファッションリーダーたちに煽られ、ゴシック・ロックが復活の兆しを見せていった。何度も繰り返すようだが、1990年前後からのゴシック・ロックとは、主にThe Sisters of Mercy、The Mission、Fields of The Nephilimなどの影響を受けながら、新たな要素を付け加えていったものになる。
そもそもBatcave世代がギターを、第1波の転換点となったファッションリーダーたちがドラムマシンやシンセサイザーを目立たせていった流れが前段階としたあり、この動向を新世代はさらに加速させていった。この結果、例えばもともとゴシック・ロックのベースラインは目立つ割りに淡白なものだったのだが、こちらも徐々に主張が強くなるなどの変化が起きていく。
あと、もう一つ大事な要素がある。バンドが音楽性や歌詞などで、世界観をやけに打ち出してくるようになった点である。とはいえゴシック・ロックとは、例えばBauhausがベラ・ルゴーシについて歌うことで吸血鬼を暗示させるなど、確かに正直初期から暗い世界観を持ち味にしたジャンルである。が、正直1980年代のいろいろな動向を経て、歌詞が暗いだけではなく、オカルティズムや怪奇小説といったガジェットの歌詞への反映が、より強く打ち出されつつあった。
ということで、1990年代くらいのゴシック・ロックともなると、おしなべて言えばなんか主張が強くなってきているのである。
原義的な第2波ゴシック・ロックの通史
通史に話を戻す。上記の通り1987年に第1波を完成させた3バンドが出そろい、これらが新たなリーダーとなった。
加えて、1989年にThe Cureがゴシック・ロック路線にある程度回帰した『Disintegration』をリリースしたことも追い風となった。つまり、ゴス層の中では、ゴシック・ロックに再注目する流れが出て来たのである。
ただし、周知の通りもうこの時代のゴシック・ロックとは、1980年代後半~1990年代の流行の音楽性からは外れたところにあり、ほとんどアンダーグラウンドで起こっていたことである。ぶっちゃけ、以後の動向は、ほぼTrad Goth層というかなり限られた世界でのみで進行し、通史についてもイギリスやドイツ近辺でしかまともに把握されていないのは断っておく。
1990年頃、The Sisters of Mercyの『Vision Thing』、Fields of The Nephilimの『Elizium』がリリースされる。この時期からようやく、これらのバンドにあこがれたであろう後進たちの姿が追えるようになる。
例えば、Nosferatu、Rosetta Stone、Garden of Delight、Love Like Bloodなどといったバンドたちであり、彼らが1990年代前半に躍進していくのだ。
上記4バンドの中では、Rosetta Stoneが比較的正統派な英国ゴシック・ロックであるのに対し、吸血鬼路線のNosferatu、ラヴクラフトやクロウリーなどのオカルティズムを用いたGarden of Delight、Fields of The Nephilimにメタル要素を加えたLove Like Bloodと、多様な世界観が提供されたのである。
一方で、新世代が出てきたのを境に、旧世代の第1波を完成させたリーダーたちは消えていった。The Missionは1990年の『Carved in Sand』で脱ゴシックし、1992年にはFields of The Nephilimも解散。The Sisters of Mercyも『Under the Gun』を境に脱ゴシックしたのがこの1992年である。
しかし、この第1波のバンドが消えていく反面、旧世代および第2波の前半のバンドたちに感化された新しい世代が出て来た。
例えば、The Wake、The Merry Thoughts、Dreadfull Shadowsなどであり、正直に言うとこうした1990年代中ごろに出てきたバンドたちが、第3波のあこがれともいうべき新しいファッションリーダーになっていく。なお、The Wake、The Merry Thoughtsは比較的正統派なThe Sisters of Mercyフォロワーだが、Dreadfull Shadowsはギターリフのみメタルメタルしたハードなものになっている等、ゴシック・ロックのフォーマットは踏襲しつつも、サブの要素として様々な新機軸を取り込み始めるのは、第2波の後期までずっと続いていたようだ。
その他有名どころをいくつか列挙する。Children On Stun、Funhouse、Another Tale、Dronning Maud Land、Bay Laurel、Big Electric Cat、Medicine Rainあたりである。
ということで、こうしたバンドたちにあこがれた存在が、第3波のバンドとなって行くわけである。
少し面倒な伏線
のだが、この時期とてつもなくややこしいことが起こる。ゴシック、ゴスはもう完全に一種のファッション、モードとなり、ゴシック・ロックと無関係なゴシックな音楽ジャンルが複数出そろっていることである。というか、要するにアメリカという文化的にかなり面倒な状態になっている国の方がよっぽど拡散力が高い影響が、世界的に出てしまった。
というのも、アメリカは、デスロックとダーク・ウェーブの記事でも触れているが、「旧来のデスロック」、「デスロックとゴシック・ロック両方に感化されたゴス層のバンド」、「なんか急に音楽プロデューサーによって新しく作られた、ダーク・ウェーブを名乗る、もともとのダーク・ウェーブとは微妙に異なる謎のジャンル」、とゴスの聴く音楽においても、かなりぐちゃぐちゃなトレンドになっていた。
要するに、このアメリカは、ヨーロッパ流のゴシック文化圏とはまた別のオルタナティブな市場であり、今ほど密な相互交流がされていなかったというのが大きく影響する。
また、1990年代と言えば周知の通り、ディスコに対してレイヴカルチャーが取って代わる。つまり、ゴス層もまた、Nine Inch Nailsやマリリン・マンソンに代表されるインダストリアルやEBMを聴き始めた。
さらに、別の問題として、1980年代のNWOBHMの勃興に伴うヘヴィメタルの復権から、1990年代に続くエクストリームメタルなどの発展の影響もあり、ゴシック・メタルという、これまたなんかふわっとした定義の謎のジャンルが誕生した。
このゴシック・メタルについても、もともとの音楽性自体はドゥームメタルの伝統から本来生まれていたような気はするが、アメリカ的な正直「女性ボーカルのシンフォニックメタル」と言ってしまった方が正しいであろう音楽性をも含む、よくわからんカテゴリーになってしまったのだが、これは別の記事で触れる。
ただし、唯一言えるのは、ゴス層は、例えばParadice Lost、My Dying Bride、Anathema以降のゴシック・メタルも聴くようになったということである。
さらに、なんかよくわからんがレッテル貼りで雑にゴスが使われるようになったのもある。例えばこれらの音楽や、Evanescenceに端を発する「ゴス服を着た女性ボーカルというだけのロックやメタルバンド」をもかなり雑にゴシック・ロックと銘打つような、主にアメリカのレコード会社のTrad Goth層に未だにしこりを残し続けているプロモーションがまずある。おまけに、コロンバイン高校銃乱射事件以降のゴス層へのバッシング、インターネットの発達などで、内部事情とか一切無視されて雑語りされていったわけである。
これらの混乱で、21世紀にも割とややこしいことになって行くのだが、原義ゴシック・ロックの記事ではあまり触れないことにする。
ただし、ものすごい卑近なたとえを出すと、これらは要するにガンダムの界隈みたいなものである。
つまり、ガンダムのオタクの中に、まず「宇宙世紀ガンダムのオタク」と「アナザーガンダムのオタク」と「そもそもファーストインプレッションがSDやガンプラやビルドやゲームなんですけど…なオタク」の複数タイプのオタクがいるというのがある。そのうえ、アナザーが世代ごとにコミュニティーがほぼ独立してるレベルだったり、宇宙世紀も宇宙世紀で「ファーストくらいしか知らん」と「富野作品ならなんでもいい」と「福井ガンダムで入った」とが微妙にセクト化していたりと、内部的に色々めんどくさいことになっている。さらに、一歩内輪の外に出ると、「目が2つついててアンテナはえてなくてもロボットはマスコミがみんなガンダムにしちまう」的なノリで、ロボットアニメはみんなガンダムと呼ばれている。というようなアレ、である程度たとえになると思う。
なので、このたとえで言うと、この記事は監督が富野かどうかは関係なく、宇宙世紀ガンダムに限ったうえで、現実世界でどのような変遷をたどってきたかを追うみたいなスタンスだったりする。
一方イギリスでは…
とはいえ、1995年前後の第2波の世代交代以降も、イギリス本国でも脈々と第2波が続いていき、ふわっと21世紀まで生き延びることとなった。たとえば、Die Laughing、The Horatii、13 Candles、This Burning Effigy、Manuskript、Seraphin Twin、Return to Khaf’ji、Cries of Tammuz、Libitina、Passion Playなどのバンドである。
これらのバンドはWhitby Gothic Weekend、Sacrosanct Festivalといったフェスで歌い続けていく。
代表的なバンド
- Another Tale
- Bay Laurel
- Big Erectric Cat
- Children on Stun
- Dreadfull Shadows
- Dronning Maud Land
- Funhouse
- Garden of Delight
- Ikon
- Lemon Avenue
- London After Midnight
- Love Like Blood
- Medicine Lain
- The Merry Thoughts
- Nosferatu
- Rosetta Stone
- The Wake
第3波
本当に軽い概説史
ということで、2000年代の第3波に突入する。この第3波の世代に属するバンドは、実はほとんど第2波の1990年代にデビューをしている。だが、おおよそ目立った活躍をし始めるのは2000年代になってからである。
しかし、上記の通り、ぶっちゃけて言えば、ゴシック・ロックを牽引するようなバンド側もまた、ゴス層としてインダストリアルやEBM、メタルの方を聴いていたわけである。つまり、この時期のゴシック・ロックとは、あいかわらずミニマルな音形ではあるものの、メタル寄りのヘヴィなサウンドに、EBM的なビートも相まって、正直インダストリアルなどに近いのである(例えば第3波の一角扱いされる下記のPhantom Visionの楽曲は、正直もうどのジャンルなのかもよくわからんと思う)。
この世代に属するのが、Elusive、Malaise、Dawn of Oblivionといったバンドである。
また、第2波の1990年代前半から活動を続けている、Star Industry、Fields of The Nephilimの部分的な復活といてもよいNFD、Reptyleなどの当時としては古参バンドも、引き続きバンド的なゴシック・ロックを続けていた。
しかし、正直に言うと、この時代はこれらのバンドの代表曲を列挙するくらいしかできない。
この後インディーロックやSynthwaveといった2000年代に勃興した1980年代的な音楽のリバイバルによって、Trad Gothの好きそうなゴシック・ロックは2010年代に復権する。
しかし、当然と言えば当然なのだが、1990年代以降、極めて一般的なゴス層というのは、こっちの流れを聴くことはまれであった。よって、正直EBMを踊ったりするCyber Goth層とTrad Goth層それぞれで「語り」は異なるものになる。
ただ一言で総括してしまうと、これらの原義的なゴシック・ロックを聴いていた方が、この段階では少数派ということである。一方で、2010年代以降の第4波的なリバイバルに向けて着々と伏線は張られていった。
ただし、ちょうどこの裏でアメリカ側で進行していたのが、デスロックの最初のリバイバルである。このなかで世界的な知名度を誇るバンドとしては、Cinema Strangeなどがいる。
第3波と第4波以降のどちらに括れるかははっきりとは言えないが、一応1990年代末~2000年代デビュー組で微妙な立ち位置のバンドもここで列挙する。The Daughters of Bristol、Golden Apes、Solemn Novena(2010年の解散後一部がSnakedanceに、別の一部がGrooving In Greenになる)、The Eden House、Soror dolorosa、Dreamtime、Dr. Arthur Krauseあたりである。
代表的なバンド
- Cinema Strange
- The Daughters of Bristol
- Dawn of Oblivion
- Diva Destruction
- Dr. Arthur Krause
- Dreamtime
- The Eden House
- Elusive
- Golden Apes
- Grooving In Green
- Imaginary Walls
- Malaise
- The Misled
- NFD
- Phantom Vision
- Reptyle
- Snakedance
- Solemn Novena
- Soror dolorosa
- Star Industry
第4波?
2010年代以降のゴシック・ロックとはそもそも何か
2000年代後半から2010年代くらいのゴシック・ロックのバンドを、第4波などと公式に定義づけることはまだされていない。というか特に定義のないまま、第4波、第5波というラベル付けが乱立しているのが、ここ15年くらいである。
しかし、端的に特徴を言えば、この世代の行っていることは古典への回帰である。つまり、一番大本のJoy Division、Siouxsie and the Banshees、Bauhaus、The Cureなどの音楽への回帰である。
ただし、この最近のトレンドに属するバンドは、その後の各音楽ジャンルの発展も取り込んでいき、旧世代と最近の音楽をうまいこと合わせて、新しいゴシック・ロックのファン獲得を目指しているのである。
インディーロック領域でのポストパンクリバイバル
まず、この辺の経緯は別に追いたいのだが、2000年代初頭にポストパンクの復活の兆候が見られ始めた。つまり、2000年代初頭にオルタナティブやインディーロックに属する一部のメジャーなバンドが以下のような明らかにこのポストパンク的なサウンドの特徴を見せ始めたのである。
- 1980年代に回帰したかのような、深く怒るようなボーカル
- ジャングルさせたようなギターリフ
- 激しいベースライン
これらに属する存在として、Franz Ferdinand、The Killers、The Bravery、Yeah Yeah Yeah’s、Interpolなどの、YouTubeでPVが数百万から億越えの再生数を誇るかなりの有名バンドが挙げられる。
なお、ここで触れておきたいのだが、Wikipediaの日本語版でやけに重く扱われており、日本語圏で最近のゴシック・ロックの数少ない事例として名前が挙がるThe Horrorsである。このThe Horrorsに関しても、ゴシック・ロックではなく正直このトレンドに属するインディーロックバンドの1例としてしか言いようがなく、おそらくなぜかトレンドが無視されてThe Horrorsだけが日本のゴス層に伝わったのではないかとも思ったりする。
ゴス側でのゴシック・ロックのリバイバル
一方で、ここまで見て来た通り、2000年代のゴス文化のメインストリーム的には、Cyber Gothの人たちが肘とかくねくねさせる踊りの方がよっぽど主流である。つまり、ダーク・エレクトロや、シンセポップ、EBMなどに影響された、エレクトロ・ゴスが、インダストリアルやエレクトロ・インダストリアルといったジャンルとともに、ゴス系のクラブでもメインとされていた時期である。
しかし、インターネットの発展で、クラブではなくネットサーフィンを通じて、ゴス文化の起源に触れていく若い世代も現れ始めた。
これに、2000年代のゴシック・ロックのバンドは、旧来のゴシック・ロックとあまり変わり映えのしないサウンドであることも作用した。つまり、若い世代も含めて、YouTubeやダウンロード音源、近年ではサブスクなどで、1980年代~1990年代の開祖的な音楽を、似たような音楽性であることもあって、聴き漁ることができたのである。こうして、徐々にデスロックなども含めて、じわじわとリバイバルが起き始めていったのである。
こうして、この上記のポストパンクに感化された若手の音楽性に、古典ゴシック・ロックを聴き漁っていた若い世代のゴス層が合流した。結果、ゴシック・ロックの新世代が、このポストパンク復権の流れに加わってデビューをし始めた。
その最たる例が、2008年デビューのブラジルのPlastique Noirである。このバンドの音楽的特徴は明らかに古典的なポストパンクやダーク・ウェーブに近しい存在であった。
また、この運動の中でアメリカのShe Wants Revengeは、ゴシック・ロックの復権に大いに貢献するパフォーマンスを行っていった(本人たちがゴシック・ロックであるかどうかは議論がある)。例えば、ミュージックビデオの中でゴスの中では古典的な1980年代の映画である『The Hunger』をモチーフするなどである。
こうした流れは、1980年代の音楽性であるニューウェーブが、2010年代にSynthwaveとなってリバイバルされたように、昔のジャンルを現代の技術でリブートしたらどうなるかというありきたりな発想である。ただし、そのような1980年代文化のリブートの初期の例こそ、このゴシック・ロックの新生代であったともされる。
余談だが、このSynthwaveの流れにも、ColdcaveやPhosphorなどのゴス層も関わっているが、名前を挙げておくだけにする。
それで今どうなっているのか
こうした流れを受けて、2010年代になると、世界各国から様々なバンドが出現する、というのが今の動向となっている。
2010年代前半からのムーブメントを牽引した存在として代表的なのは、アメリカのDrab Majesty、トルコのShe Past Away(最も結成は2000年代)やイギリスのAngels Of Liberty、Lebanon Hanover、Terminal Gods、ドイツのMerciful Nuns、ギリシャのSelofan、フランスでMinuit MachineやHanteをプロデュースするヘレネ・ドゥ・トゥーリ、イタリアのWinter Severity Indexあたりがである。
他の2010年代前半デビュー組で有名どころを列挙すると以下となる。The Rope、Aeon Sable、Dryland、Raven Said、Astari Nite、Crying Vessel、Night Nail、IAMTHESHADOW、Kælan Miklaなどである。
2010年代後半になると、イギリスのKill Shelter、アメリカで今では先輩のDrab Majestyと並び称されるレベルになっているTwin Tribes、ノースバージニアのSonsombre、ドイツのWisborg、ギリシャのHuman、フランスのJE T’AIMEなどが結成されていく。
他の2010年代後半デビュー組で有名どころを列挙すると以下となる。A Cloud Of Ravens、Forever Grey、Angel’s Arcana、Long Night、Tomb of Love、The Kentucky Vampires、The Cult Sounds、Pilgrims of Yearning、Rosegarden Funeral Partyなどである。
また、こうした2010年代~2020年代のバンドは、例えばWitchHands、Shadow Assembly、Mary、Black Angelなど、Bandcampなどのネット上を活動の主な舞台としているものもいる。
例えば、2020年代デビューのネットを中心にした活動をしているバンドの中では、Darkあたりが割と躍進している。
また、こうした流れを受けて、ついにポストパンクに感化されたインディーロックと、この世代のゴシック・ロック・リバイバル的な音楽を合体させたバンドも出てきてしまった。Creux Lies、La Scaltraなどがそれにあたる。
また、クロスオーバー的な音楽性のバンドも複数存する。例えばラップに感化されたニューメタルと音楽性を合体させたGvllow、グランジと合体させたundertheskin、ダークエレクトロと合体させたTalk To Herなども知られている。
なお、本人たちは全くその気はなさそうなのだが、歌詞が暗い、1980年代のポストパンクにルーツのある2010年代以降の音楽という定義によって、たまにベラルーシのMolchat Domaあたりの旧ソ連圏のゴスではないポストパンク系アーティスト(西側でRussian Doomer Musicと勝手に言われている中には確かにゴシック・ロックもあるのだが)も括られることがある。
総括
総括すると、この新世代のゴシック・ロックというのは、環境整備の恩恵が大きいと思われる。インターネットの普及などで、昔はクラブやレコード店などのつてで情報を集めるしかなかった状態から、家にいながらいくらでもジャンルの情報を漁れる状態になったのが大きく影響したということである。
ただし、こうした楽曲は、ゴス層に受けたというよりも、ゴスと無関係にこの手の音楽にハマった層にもウケているようである。実際、これらのバンドの中には自分の音楽ジャンルのみをゴシック・ロックとしているに過ぎない存在も多い。
代表的なバンド
- Aeon Sable
- Angel’s Arcana
- Angels Of Liberty
- Drab Majesty
- Dryland
- Hante
- Human
- JE T’ AIME
- KILL SHELTER
- Lebanon Hanover
- Long Night
- Merciful Nuns
- Minuit Machine
- Plastique Noir
- Raven Said
- The Rope
- Selofan
- She Past Away
- Sonsombre
- Terminal Gods
- Tomb of Love
- Twin Tribe
- Winter Severity Index
- Wisborg
参考文献
書籍
- Mercer, Mick(1988)『Gothic Rock Black Book』
- Mercer, Mick(1991)『GOTHIC ROCK: All you ever wanted to know… …but were too gormless to ask.』
- Mercer, Mick(1997)『Hex Files: The Goth Bible』
- Mercer, Mick(2002)『21st Century Goth』
- Mercer, Mick(2009)『Music to Die for: The International Guide to Today’s Extreme Music Scene』
- Mercer, Mick(2021A)『GOTHIC INTERVIEWS Volume 1』
- Mercer, Mick(2021B)『GOTHIC INTERVIEWS Volume 2』
- Thompson, Dave(2003)『The Dark Reign of Gothic Rock: In the Reptile House With the Sisters of Mercy, Bauhaus and the Cure』
ウェブサイト
- ElektroSpank – FMA – The Waves of Gothic – World Goth Day
一番ざっくりと第4波くらいまでを追える - Goth: The History, The Heresy – Rate Your Music
おおよそ原義通りのゴシック・ロック愛好家にとっての最大公約数が把握できる - 40 Years of Goth: Essential Albums from the Subculture’s Beginnings — Post-Punk.com
ある程度の幅を持たせつつも、ざっくり有名どころのアルバムが把握できる - The Rise of 21st Century Goth/Post-Punk Revival — Obscura Undead
2010年代くらいまでの第4波の見取り図がおおよそ描ける - 10 New Goth And Darkwave Bands Keeping The Spirit Alive | GRAMMY.com
2020年代前半に活躍している面々を紹介する記事その1 - 10 rising goth bands who will send you back to the ’80s darkwave era
2020年代前半に活躍している面々を紹介する記事その2 - The Next Wave of Goth Is Now – Sounds and Shadows
明らかにドゥームメタルなど隣接ジャンルも含まれているが、2020年初頭時の第4波のキープレイヤーが把握できる - Sounds and Shadows Top 20 Goth/Darkwave Albums of 2020 – Sounds and Shadows
という上記記事を踏まえて書かれた、2020年発売アルバムのレビュー - Sounds and Shadows Best Albums of 2021 – Sounds and Shadows
引き続き上記の記事を踏まえて書かれた、2021年発売アルバムのレビュー - Sounds and Shadows Top Darkscene Albums of 2022 – Sounds and Shadows
2022年発売アルバムのレビューで、記事内にもあるが、この年は各ジャンル総括しており、ゴシック・ロックは一番上の方にある - Top 12 Sounds and Shadows Darkscene Singles of 2022 – Sounds and Shadows
2022年はシングルについてもレビューが書かれた - Goth Music: The History of Goth Rock – Goth Clothing
Xmal Deutschlandなどドイツ語の表記揺れや、文の構造から、実はドイツ語版Wikipediaを英語に機械翻訳しただけのもののコピペでしかない。そこまで役に立たない