家族/親族

家系図(表)

 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
 
 
 
 
バロン・フォン・シュタイン ザムエル・ゲプハルト?
   
       
     
   
                 
               
     
     
     
     
     
     
     
ピョートル・モリアン マリア・フォン・シュタイン フリードリヒ・アルベルト・ゲプハルト ヨハン・クリスティアン・ゲプハルト    
         
                 
     
     
           
                                           
               
               
               
               
                 
                                 
                     
ヴァシーリー・ミッチソン スザンナ・ペトロヴナ・モリアン ユリヤ・ペトロヴナ・モリアン マリヤ・ペトロワ・モリアン ピョートル・メトネル カール・アンドレヴィッチ・ゲディケ ポリーナ・フェドヴナ・ゲプハルト マリア・フェドヴナ・ゲプハルト フョードル・フェドヴィッチ・ゲプハルト ミンナ・フェドヴナ・ゲプハルト アレクサンドラ・フェドヴナ・ゲプハルト アウグスト・オスカル・シレン     ヘドウィッヒ・パルムベルイ マチルダ・ローレンシア・ウェゲリウス     ヨハン・フェルディナント・ゲプハルト アルベルト・フレデリック・ゲプハルト     オリヴィア・オッティリア・オーベルイ
       
                                           
         
         
         
                                                                                 
                                     
                       
                       
                       
                         
                                                                                                                                 
                               
カール・イヴァノヴィッチ・シュテンベル エミリヤ・ペトロヴナ・メトネル アレクサンドラ・フセヴォロドヴナ・フィリシュティンスカヤ ミハイル・M・ブラテンシ― エレオノーラ・ペトロヴナ・メトネル ピョートル・ペトロヴナ・メトネル カール・ペトロヴィッチ・メトネル アレクサンドラ・カルロヴナ・ゲディケ イヴァン・イヴァノヴィッチ・ギリデンドルフ カロリーナ・カルロヴナ・ゲディケ カール・カルロヴィッチ・ゲディケ ヨハン・カルロヴィッチ・ゲディケ ポリーナ・カルロヴナ・ゲディケ マリヤ・カルロヴナ・ゲディケ ヴラディーミル・カルロヴィッチ・ゲディケ ユスティーナ・アデレ・ラ・キャンピオン フョードル・カルロヴィッチ・ゲディケ      
                    ヘドウィグ・マリア・シレン     ハンネス・ゲプハルト アルベルト・ゲプハルト     エマ・フレデリカ・ハマライネン・ケコニ     サンニ・マリア・フライベルイ     エリン・マリア・イストルム     テルットゥ・マリア・マッコネン
                                               
                           
             
             
             
             
                                                                                                                                       
                           
                                                                                                                             
                               
                                                                                         
                                                   
エフゲニヤ・イヴァノヴァ・ズブルエヴァ アドルフ・カルロヴィッチ・シュテンベル ナデージュダ・ドミトリヴナ・ゲオルギエフスカヤ ヴィクトール・カルロヴィッチ・シュテンベル ウラジーミル・カルロヴィッチ・メトネル アンドレイ・ミハイロヴィッチ・ブラテンシ― アレクサンドル・ミハイロヴィッチ・ブラテンシ― アンナ・ミハイロヴナ・ブラテンシ― ニコライ・カルロヴィッチ・メトネル アレクサンドル・アレクサンドロヴィッチ・サブロフ ソフィヤ・カルロヴナ・メトネル オリガ・フョードロヴナ・ゲディケ ヴィクトリヤ・V・タルスカヤ アレクサンドル・カルロヴィッチ・メトネル エレーナ・ミハイロヴナ・ブラテンシ― カール・カルロヴィッチ・メトネル エミリィ・カルロヴィッチ・メトネル アレクサンドル・イヴァノヴィッチ・ギリデンドルフ エカチェリーナ・P・チェルニュシェヴァ アレクサンドル・フェドヴィッチ・ゲディケ マリヤ・フェドヴナ・ゲディケ パーヴェル・フェドヴィッチ・ゲディケ マイジュ・ゲプハルト ヨハネス・ゲプハルト     バルブロ・セルマ・エミリア・フィンストローム
                               
        長男 五男 二男 長男 二女 四男     長女 二女     三男 長女   二男 長男                
       
       
       
       
       
       
       
                                       
             
                           
                 
ソフィヤ・ヴィクトロヴナ・シュテンベル ナデージュダ・ヴィクトロヴナ・シュテンベル ニコライ・ヴィクトロヴィッチ・シュテンベル リディヤ・ドミトリヴナ・ポンソヴァ アンドレイ・アレクサンドロヴィッチ・サブロフ レオニード・アレクサンドロヴィッチ・サブロフ イリーナ・アレクサンドロヴナ・メトネル ナタリヤ・ヴァシロヴナ・ペロフスカヤ ボリス・アレクサンドロヴィッチ・メトネル アレクサンドル・アレクサンドロヴィッチ・メトネル ニコライ・タラゾフ ヴェーラ・カルロヴナ・メトネル
           
二女 長女 長男     二男 長男 長女     二男 長男     長女
     
     
     
     
     
     
     
     
     
                   
       
タチヤナ・アンドレヴナ・サブロヴァ マリヤ・アンドレヴナ・サブロヴァ タチヤナ・ボリソヴナ・メトネル エレーナ・ニコライヴナ・タラゾフ
 
二女 長女 長女 長女

家系図(画像)

メトネル家家系図
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メトネル家家系図
フリードリヒ・アルベルト・ゲプハルト以下はFlamm(1995)、ヨハン・クリスティアン・ゲプハルト以下は調査前のため破線

競走馬血統表風

ニコライ・メトネル基準だとこうなる

ニコライ・メトネルの血統
カール・ペトロヴィッチ・メトネル
父の父
ピョートル・メトネル
不明 不明
不明
不明 不明
不明
父の母
マリヤ・ペトロワ・モリアン
ピョートル・モリアン 不明
不明
不明 不明
不明

アレクサンドラ・カルロヴナ・ゲディケ
母の父
カール・アンドレヴィッチ・ゲディケ
不明 不明
不明
不明 不明
不明
母の母
ポリーナ・フェドヴナ・ゲプハルト
フリードリヒ・アルベルト・ゲプハルト 不明
不明
マリア・フォン・シュタイン バロン・フォン・シュタイン
不明
Flamm(1995)を参考

メトネル家

カール・メトネル(父)

1846年~1921年

メトネルたちの父親。メトネル家はドイツ系ということになっているが、エミリィの証言によるとカールの先祖はデンマークから来ている。

19世紀のロシアでよくいる経済的に成功したドイツ系の典型例であり、モスクワレース工場を運営していた実業家である。ということで、貴族の末裔ともいえるラフマニノフやスクリャービンほどではないのだが、メトネル家はそれらに次ぐ有力な家といっても過言ではない。

なお、アンドレイ・ベールイによると、ヴァレンシュタイン風のひげを蓄えたいかにもなドイツ系と言われており、マリエッタ・シャギニャンもメトネル家との交流でスケジュール管理などを身に着けたと述べているので、なんとなく家風が察される。

しかし、長男のエミリィは第一次世界大戦を境に音信不通になり、次男のカールは戦死。おまけにロシア革命で工場の権利も奪われ、ニコライが手始めに亡命を行った矢先に亡くなってしまった。なので、実はエミリィとの再会はできていない。

アレクサンドラ・メトネル

1842年~1918年

メトネルたちの母親。旧姓はゲディケ。メトネル家はドイツ系ということになっているが、エミリィの証言によるとアレクサンドラの先祖はスウェーデンから来ている。

彼女の兄弟や甥が音楽家であることからもわかる通り、ゲディケ家は音楽家の一族であり、彼女もメゾソプラノの歌手だった。ニコライは当初そんな彼女やフョードル・ゲディケらから教育を受けたということである。

一応、メトネルの各種伝記では、ニコライ・メトネルとアンナの恋愛を終わらせ、アンナをエミリィと、ニコライをマルクグラフという別の女性と婚約させ、アンナがエミリィと結ばれたという要因とされている。最後までニコライとアンナの婚姻には反対し、皮肉にも彼女が亡くなった結果、エミリィが第一次世界大戦後音信不通になっていたこともあり、ニコライとアンナが公的に結婚する結果となった。

エミリィ・メトネル

カール・メトネル(子)

1874年~1919年

メトネル家の次男で、父親とは同名。ちゃんと調査していないので事情は正確には不明だが、長男が当初は公務員になった経緯から必然的に次男の彼が親の家業を継いだと思われ、父親のモスクワレース工場の後継者となった。

ところが、悲劇は起きる。第一次世界大戦に従軍した結果、いつしか家族への連絡がなくなり、行方不明となってしまう。しかし、実はロシア革命に伴い皇帝の軍として革命政府に捕らえられていたというものであり、留置場にいたことを知った父とニコライの奔走で解放された。のだが、その後赤軍兵士としてロシア内戦に繰り出され、あっけなく戦死してしまった。

アンナ・メトネルの姉であるエレーナと結婚しており、ロシア革命に伴い工場の権利も奪われていたこともあり、彼の戦死に伴って実は両親やカール系のメトネル家だけではなく、ブラテンシー家のほぼ全員までニコライが扶余する形になってしまい、この経済的負担がニコライの亡命につながるとかつながらないとか。

アレクサンドル・メトネル

1877年6月2日~1966年11月26日

メトネル家の三男で、ニコライと同じく音楽の道に進む。そのせいで戦前~昭和末期くらいまでの和書では、兄弟の事績や兄弟順がかなりごっちゃになっている。

1892年から1898年までモスクワ音楽院で学ぶが、彼の進んだのはヴァイオリンコースであり、その後カリンニコフらに作曲も学んでいく。以後、弟のように亡命などはせず、死ぬまでソ連でヴァイオリニスト、指揮者、作曲家として活動した。少なくとも指揮者としてはプロコフィエフの作品などにも携わっている。

というか、エミリィ、ニコライに比べると、ソヴィエト連邦内でそこそこのポストに一定期間ついていた筈なのに全く記録がなく、Wikipediaの記事もロシア語版、フランス語版、ドイツ語版などで存在するのだが、その記述はほぼロシア圏で流通した事典類のコピペである。確かに、例えばアクサーコフの作品の劇音楽などを作った記録はあるのだが、実のところ合法非合法問わず音源を見たことがない(ただし、終戦直後の日本でソ連に訪れアレクサンドル・メトネルのバレエを聴いた記事が複数見つかるので、上記経歴は事実とは思われる)。求む情報。

ソフィヤ・メトネル

ウラジーミル・メトネル

1881年~1891年

メトネル家の五男で、ニコライの唯一の下の兄弟。しかし、幼くして亡くなり、特に記載することはない。

ヴェーラ・タラソヴァ/ヴェーラ・メトネル

1897年~1985年

カール・メトネルの娘で、ニコライ・メトネルの姪。

モスクワ大学や国際関係大学でドイツ語を何十年にも渡って教えていた語学に堪能な存在で、ロシアで出版されたメトネルの回想録の、外国人部分の翻訳は、ほぼ彼女が担っている。

ブラテンシー家

エミリィ・メトネル、カール・メトネル、ニコライ・メトネルの姻族。

アンナ・メトネル

1877年~1965年

ニコライの妻。成功したユダヤ系の歯科医の家に生まれ、ヴァイオリンをたしなんでいた。

メトネルの各種伝記によると、1896年に家族ぐるみの知り合いとなった後、もともとニコライとアンナの方が恋仲だったのだが、アンナはエミリィと結婚するべきとしたアレクサンドラ・メトネルに割かれ、1902年エミリィと結婚。そのままエミリィが公務員としてニジニ・ノヴゴロドに向かった際についていったのだが、1904年からニコライが後を追ってきて、3人で同棲状態になる。

しかも2人はあっけなく恋を燃え上がらせ、エミリィと結婚しているにもかかわらず、ニコライとの子供を作り、流産するという事態を引き起こす。それも2回も。

エミリィ的にはこの流産は2つの相反する役割にアンナを苦しませた結果だと思っており、以後エミリィは精神に不調をきたした結果どんどん精神分析に関心を持ち始め、ニコライもまたその罪を告白するような楽曲に着手したとかしなかったとか。

とはいえ、親は反対していたのだが、エミリィはもういろいろ割り切って第一次世界大戦まではニコライ、エミリィ、アンナはずっと3人で同棲を続けてロシア各地を転々としていた。というか、1912年にはエミリィとその恋人、ニコライとアンナでバイロイト音楽祭にも行っている。

ところが、第一次世界大戦でミュンヘンに取り残されたエミリィはチューリヒでカール・グスタフ・ユングの取り巻きの一人となって暮らし始め、東部戦線を挟んだことで音信不通となる。おまけに反対していたアレクサンドラ・メトネルが死んでしまった結果、1919年6月にニコライとアンナはようやく公的に結婚した。

しかしほぼ同時期にエミリィからの連絡が届くようになり、亡命後1921年にようやく3人で再会した。とはいえ以後もエミリィ、ニコライの相互交流は死ぬまで続き、アンナも彼らと歩みを同じくした。

かくしてニコライが死ぬまでそのそばで付き従ったのだが、過去のトラウマからかニコライとの関係は一種の共同事業者じみたものとなっており、作曲以外のニコライの仕事には彼女がほぼ付き従っていた。そんな彼女の姿は、プロコフィエフのようなメトネルを揶揄する立場の存在や皮肉屋にとっては格好の嘲笑の的だったようだ。

しかし、エミリィ、ニコライが順次亡くなり、一人取り残された彼女は、最終的にソ連に戻った。この経緯としては以下である。スターリン死後のフルシチョフによるスターリン批判などもあってジダーノフ批判などが清算され、メトネルの楽曲も弾くだけで自己批判されるような状況から復権。アラム・ハチャトゥリアンが音楽の「雪どけ」を宣言した直後にエミール・ギレリスがメトネル擁護をさっそく展開し始め、そんなギレリスの協力によってソ連に戻れたらしい。

しかし、ここで彼女は、故意かどうかは一定の留保が必要なのだが、メトネルの資料を冷戦両陣営に分割させ、メトネルの情報をほぼ独占していた状態になっていた。以後、ソ連での彼女の動向はほとんどわからず、アペチャンの回想録などの記述が数少ない記録である。

ゲディケ家

メトネル兄弟の母方の実家。

アレクサンドル・ゲディケ

1877年3月4日~1957年7月9日

メトネルの母方のいとこ。メトネルと同様モスクワ音楽院でピアノを学び、これまたメトネルと同じくタネーエフからの私的なレッスンのみで作曲を学ぶ。メトネルが競った「第3回アントン・ルビンシテイン国際コンクール」では作曲部門に出場し、優勝。結果ピアノ部門でロシア人を絶対に優勝させない政治抗争が起きたとか言われている。

1909年にモスクワ音楽院のピアノ科教授になったが、どちらかというと彼といえば1919年以降の室内楽、オルガンクラス以降のキャリアの方が有名で、特にオルガンクラスはそれまであまりオルガンの伝統の無かったロシア圏にオルガンの一大門派を築くに至った。

作風は伝統的なポリフォニーに沿うものであり、保守的なもの。

サブロフ家

ニコライ・メトネルの姉・ソフィヤ・メトネルの嫁ぎ先

アンドレイ・サブロフ

1902年3月13日~1959年9月9日

ソフィヤ・メトネルの息子で、ニコライ・メトネルの甥。20世紀生まれの文芸評論家(アンドレイ・サブロフの時点で同姓同名が複数人存在し、フルネームのアンドレイ・アレクサンドロヴィッチ・サブロフですらまだ彼に絞れないので、調べづらいが)。

革命後、モスクワ大学の哲学科廃止直前での最後の入学者5人のうちの1人で、トルストイなどの研究でよく知られている。

メトネル兄弟と家族ぐるみの付き合いをしていたセルゲイ・ドゥルィリンからは、家庭教師をしてもらっており、晩年までずっと付き合いがあった。また、アレクセイ・チチェリンの回想録で彼がイヴァン・イリインに感化されていたとあるが、これまたメトネル兄弟の友人なので、メトネル一家の近くにあったサークルの、学芸面で感化された次世代、といってもいいと思われる存在である。

シュテンベル家

おば・エミリア・メトネルの嫁ぎ先。

ヴィクトル・カルロヴィッチ・シュテンベル

1863年~1921年1月11日

メトネル兄弟のいとこ。文豪パステルナークの父・レオニード・パステルナークらと活動をした帝政末期のロシアの有名な画家で、レーニンの肖像画などを書いたためか、なぜか日本語版Wikipediaに記事がある。

ゲプハルト家

母方の先祖、および遠い親戚である。

フリードリヒ・アルベルト・ゲプハルト

1781年7月26日~1861年4月30日

メトネルの母方の先祖(ゲディケ家も同祖)。ドイツ人だがロシアに渡った俳優で、演劇活動や台本執筆以外にも、作曲家のジョン・フィールドの伝記も書いている。

ヨハン・クリスティアン・ゲプハルト

1786年~1852年

フリードリヒ・アルベルト・ゲプハルトの弟。ロシアで音楽家として活動したが、なぜかこっちは子孫に音楽家が出なかった。フィンランドのゲプハルト家の先祖だが、多分メトネルはこちらの子孫を全く把握していないと思われる。

ハンネス・ゲプハルト

1864年8月27日~1933年2月23日

フィンランドの経済学者。アルベルト・ゲプハルトはいとこ。専門は経済史で、妻ともどもフィンランドの国会議員も務めた。

ヘドウィグ・ゲプハルト(ヘドウィグ・マリア・シレン)

1867年12月14日~1961年1月13日

フィンランドの政治家。ハンネス・ゲプハルトは夫。いわゆる第一波フェミニズム運動に属する世代で、女性の権利向上に努め、フィンランドで最初の国会議員になった女性の一人。

マイジュ・ゲプハルト

1896年9月15日~1986年7月18日

ハンネス・ゲプハルトとヘドウィグ・ゲプハルトの娘。フィンランドの代表的な食器乾燥機の発明家。

アルベルト・ゲプハルト

1869年4月17日~1937年5月15日

フィンランドの画家。ハンネス・ゲプハルトはいとこ。フィンランド芸術家協会の創設者の一人。世代的にはちょうどアール・ヌーヴォーに感化されたあたりで、パリ万博のフィンランドパビリオンのデザインも行っていた。

なお、4回の結婚を繰り返しており、息子のヨハネス・ゲプハルトは最初の妻との子供。

ヨハネス・ゲプハルト

1894年2月24日~1976年3月14日

アルベルト・ゲプハルトの息子で同じく画家。

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