ざっくりとしたニコライ・メトネルの生涯

ニコライ・メトネル略伝を書いてしばらくしてから、そもそも、子供向けの伝記のような、ニコライ・メトネルの人生をゆるく見ていく記事がこの世の中に存在しないことに気づきました。

ということなので、他の記事と全く違う語り口調で、メトネルの人生をまとめていきたいと思います。ほぼニコライ・メトネル略伝をさらに物語チックにした物です。なお、いろいろな話を丸めて調節しているので、参考文献にはしないでください。

とりあえず『歴史秘話ヒストリア』くらいの温度感で読んでください。

Kalafina 『storia』

メトネルとは誰か?

そもそも、メトネルとは誰でしょうか?ざっくりいうと、19世紀の末くらいに生まれた、ロシアの作曲家です。

メトネル
メトネル

ニコライ・メトネルです

ニコライ・メトネルが生まれたのは1880年(旧暦では1879年)です。ざっくりいうと、作曲家ではおおよそ以下の人たちと同じ世代です。

滝廉太郎
滝廉太郎

1879年生まれなので1個上です

レスピーギ
レスピーギ

1879年生まれなので1個上です

バルトーク
バルトーク

1881年生まれなので1個下です

ストラヴィンスキー
ストラヴィンスキー

1882年生まれなので2個下です

ちなみに、有名人だと以下の人たちが大体同じ年です。

大正天皇
大正天皇

1879年生まれです

マッカーサー
マッカーサー

1880年生まれです

ヘレン・ケラー
ヘレン・ケラー

1880年生まれです

ニコライ・メトネルが生まれた時期というのは、作曲界は以下の時期です。

ブラームス
ブラームス

ようやく交響曲に手を付け始めて、脂が乗り始めた時期です

ブルックナー
ブルックナー

もうおじさんですが、ようやく注目され始めて売れ始めたころです

ワーグナー
ワーグナー

ニーベルンゲンの指環をやり終えて、当面の目標は達成できました。

いわゆる晩年の時期です

リスト
リスト

まだ存命ですが、

もうほぼご隠居様です

マーラー
マーラー

学校を卒業したので、

どこかのポストでも……とやっていた頃です

リヒャルト・シュトラウス
リヒャルト・シュトラウス

まだ、父くらいしか音楽を教えてくれる人がいなかった頃です

ドビュッシー
ドビュッシー

ピアニストは諦めたものの、

ちょうどフォン・メック夫人と一緒にロシアに行くか、といった時期です

サティ
サティ

パリ音楽院で勉強していたころです。

まあ、もうすぐ辞めるのですが……

ちなみに、以下の2人は生まれていますが、まだ音楽院にも進んでいない頃です。

スクリャービン
スクリャービン

1872年(旧暦だと1871年)生まれです

ラフマニノフ
ラフマニノフ

1873年生まれです

ニコライ・メトネルは、この後71年の生涯を過ごしました。この70年以上の時間は、世界史でも第一次世界大戦、ロシア革命、第二次世界大戦などを経る、激動の時代になります。しかし、クラシック音楽界でも大きな変化が起きるのに十分な時間でした。

ざっくりいうと、チャイコフスキーの序曲『1812年』やリストのファウスト交響曲から(どちらも1880年初演)

1812 Overture: Grand Finale
Liszt: A Faust Symphony / Chailly · Berliner Philharmoniker

ブーレーズのポリフォニーX(1951年)やケージの4分33秒(1952年)に至るまでの時間です。

Polyphonie X for 18 Solo Instruments
John Cage: 4'33'' / Petrenko · Berliner Philharmoniker

そして、メトネルの人生とは、この流れの中で、旧来の、おおよそワーグナー以前の音楽を守ろうという抵抗に始まり、最後まであきらめずにもがき続けるものでした。ここでは、そんな彼の生涯を、ざっくり追っていきたいと思います。

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